サナトロジーの講座ができるとかホスピスが誕生するとか、そういうことはみな1960年代に起こっています。この頃よくいわれるバイオエシックスの研究所ができたのも1969年です。そういうものを受けて1985年の11月号に立花隆さんが「脳死」を出し、あの一連の業績が出てきたということです。自明だと思っていた死は、実は文化の問題であり、世界中のあらゆる民族で同じように死があると思っていたら、実は違っていたということです。我々個人が死というものを考えなければならないという契機が起きてきたのが、1970年代から1980年代ということではないかと思います。
そういう形で雑誌から見ますと、とりわけ1960年代から始まった医療体制への批判の目が、1980年代からの脳死問題を経て、一般の人々に死を改めて考えさせるような、自分の死を見つめなくてはいけなくなるような、契機になったのではないかと思われます。
日本の中の動きとしては、1970年代、1980年代くらいからそれまでと違った死の考え方が出てきているわけです。それを私は仙台市内の墓地の墓碑銘を調べることで、意味を考えてみようとしました。お墓というのは、死んだ人や家の名前とか、いろいろなことが書いてあります。とりわけ建立年月日が書いてあるので、それをデータベース化できるわけです。ひとつひとつのお墓の情報を書いて、建立年月日順にザラッとソートするわけです。すると、古い時代から新しい時代にかけて、お墓の中の文字とかでどんな変化があるか、その結果だけをお知らせします。
仙台市営の葛岡霊園と民営の宮城霊園という共同墓地の約9,000基を調べた結果です。この30年くらいの間に、「家意識」が希薄化している。つまり今いる自分と先祖とのつながりが切れている。それから宗教離れが起こっている。実際、今の日本は90%は仏式で葬儀しますが、お墓を作る時に仏教の教義に乗っ取った作り方というのは、あまりなされていない。宗教離れ、ある意味では葬式の時だけだという考え方が、うかがわれるのではないかと思います。それからお墓を作る時に、自由度が増してきたということが言えます。とりわけ横に長い洋型のお墓が増えてきました。葛岡霊園で今作られているお墓は、半数以上が洋型です。洋型のお墓を作ると、書かれる文字の情報量がひじょうに増えるわけです。そこに書かれる自由度が増えてきたことが私の一番の関心でした。そこに書かれる文字は、現世のことが一番重要になってくるのです。つまり、自分がここに眠るという生前墓を作ったり、「ありがとう」と書いて生前墓を作ったり。結局生前にお墓を作る時に書くメッセージは、いずれ来るであろう人々に対するものであろうと思うのです。あくまで現世中心、あるいは自分がこの世で生きてきたことを示すようなところがあるかと思います。剣道をやってきた場合には「剣に生き」とか。
ちょっと言葉足らずになっているかと思いますが、現在のところ「死」というものを考える時に、現世中心的な死生観が増えていることは事実だと思います。最初にお話しましたこの世とあの世という二元的死生観、あるいはまたあの世から生まれ変わってくるという円環的死生観、これらの関わりで考えると現世中心というのは、行く先がないわけです。ここをどう救っていくか、宗教学は「あるべき姿」を語るわけではないのであまり言うことができないのですが、私が思う2点だけをお話します。従来宗教が担ってきた来世があり生まれ変わりがあるという広い意味での宗教が、更なるあらたな救いを提供できないか、宗教再興の道はないのかということが、宗教者にうかがってみたい点です。そうでない場合は、この世で満足のいく、死を見据えた生をよりよく生きるということを考えていくしかないわけです。しかしこのあたりのことは、これからのお話になるかと思うので、ここで終わりにします。