その中で「死」に関する記事を集めてみました。表題を中心に内容のわかるものも取り上げたわけですが、だいたい429くらいあったのです。けっこう取り上げられていて、どこがタブーなのだろうかということになるわけです。扱われる内容で一番多いのは、誰々の死を悼んでという、具体的死者の追悼なのです。これは、時代を超えてあります。たとえば有名人では大町桂月とか、芥川龍之介、葛西善藏、坪内逍遥、こういった人たちが亡くなった時を偲んで、という形の特集でよく出てきています。その他にもいろんな項目があります。死刑とか自殺、脳死、看取りなどいろいろなタームが出てくるかと思います。
時代的な変化で簡単に申し上げますと、戦前までは文学的に死を扱ったり死刑に関する議論があったものが、戦後になるとパタリとなくなり、1960年代の終わりくらいからは、医療技術の進歩との関連で、医療との問題を見据えて「死」というものを考えるようになりました。具体的には臓器移植の問題、安楽死、尊厳死、脳死、看取り、もっと言えば自己の死をどう見るか、そういった議論が展開されてきたと思います。
ここで、そこに扱われる「死」を簡単に分類したいと思います。ジェンケレビチという方が、その辺をうまく分類しています。一人称の死、二人称の死、三人称の死という形でまとめていらっしゃいます。一人称の死というのは、私の死です。二人称は配偶者の死とか子供の死など、親しい存在の死です。三人称の死というのは他者の死、まさに一般的にいう死です。一体このあたり、どの点に焦点を絞って116年間やられてきたのでしょうか。簡単に結論だけ申し上げますと、三人称の死、つまり「死」一般論というのは、長年ずっとやられてきています。たぶん、これはタブーではないのです。「死」一般を論じることは、日本社会において、これまであまりタブーではなかった。二人称では、1970年代になるまでは故人の死を悼むというのが普通に出てくるのですが、1980年代近くなってくると、二人称の死を扱っていながら自分の死をその中に読み取っていく、という傾向が見られるようになってきました。そして一人称の死はどうなのかと言うと、実は大正時代にそういうものがあります。1922年に「『死』を念頭に置く生活と『死』を念頭に置かぬ生活」という特集号が組まれています。その当時すでに自己の死をどうみるか、という特集も組まれているわけです。ただ1970年代以降、自己の死を見つめる傾向が徐々に増えてきたということがあるかと思います。つまり一人称や二人称の死というのはなかなか考えたくないのだというところがありますが、1960年代末くらいから変化してきているわけです。何がきっかけなのか、簡単に申し上げるとおそらく、象徴的な出来事として心臓移植があったのではないかと思います。
心臓移植は1967年南アフリカ共和国のバーナード博士がやったわけです。これは命を永らえさせることを志向してきた医学が、人工の臓器ではなく他者の臓器を使う。それを死者からと考えるかどうかが問題となるわけです。死者からの角膜移植とは違った形で他人の心臓を移植する、つまり提供者は心臓がなくなってしまうという移植が、1967年に行われ、1968年には日本で初めて札幌医大で行われるということが起こってきたわけです。このあたりから、おそらく象徴的に出てくるのだと思います。1960年代の終わりから1970年代にかけては、世界中で医学と倫理の問題、あるいは人間として「生きる」とは、という問題などがいろいろ出てきています。