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必死になって霊魂をもう一回身体にとりもどそうとする営みなのですね。蘇生させようとするといいますか。もう駄目だとなりますと諦めて、お坊さんにお願いして戒名をつけていただいて、いわゆる死者の国での名前をつけていただきまして、そしてそれをもとに祀って魂が魂として成長していくのを助けようとする。そういう形になってきますよね。それを成仏すると申します。往生するとも申します。そして、13回の法要をやるのですが、33年目にその最後の弔い上げという法要をいたしまして、それから先は神様になっているのです。こうして神様になった上で、氏神様と合同して子孫を守り続けていく。これが柳田国男の民俗学が発見した日本人の、「人はどこから来て、どう生き、どこへ行くのか」ということですね。死んだあとは山とか海とか、もときたふるさとのところへ帰って神となっていく、そういう世界観なのですね。

このように神になるためには、家族や、自分の子供たちに看取られて畳の上で静かに死んでお葬式でお坊さんの引導で成仏して、さらに追善供養を受けねばならないとする。こういうふうなものが、いわば与えられた死の設計図として用意されているわけですね。しかも、人間は死んだあとは、もう自分では発言できませんから、そういうことを周りの人にお願いする。けれども昔は、亡くなった遺族の方は死の悲しみがありますから、ケガレているということにして、隔離して、お坊さんが引導を渡してあの世に送り届け、身近な人、近所の人が集まって、社会がそういう形で、設計図を作っている。社会が用意した死の設計図があるわけなのですね。その中で何よりも大事なのは、自分が、子孫を残して、その子孫に看取られ、供養されることによりまして成仏できるとされているのですね。

ところが、だんだん世の中が荒んできますと、子孫が当てにならない。そうしますと、自分が生きている間に自分の成仏を用意しておきたいと考えるようになります。具体的に申しますと、お墓を作って、お墓に赤い字で名前を入れておくとか、あるいはまた、生きている間に法要を33回までしまして、それで自分の成仏を確認する。そういう形で自分自身で用意する方法があります。山伏の信仰では霊山に33回登りますと、山は神様の世界ですから、成仏が保証されたとして自分で供養塔を建てたりしますけど。そういう形で、自分が生きている間に、逆修っていうのですけれども、成仏を先取りする形がとられているのですね。

この信仰が非常に強いものですから、何か不幸があったときには、自分が亡くなった先祖を粗末にして供養をしなかったから、先祖が祟っているのじゃないかと考えます。祟るというのは、「出る」っていう字と「示す」という字からなりたっています。それゆえ「祟る」ということは、先祖の霊が出てきて、自分が供養されていないことを遺族に示しているのだ。だから遺族の人はお祀りをしなくてはいけない。そういうふうな発想になってくるわけです。さっき申し上げましたように、幸せというのは、一生懸命この世で働いて、しかるべく仕事を成し遂げて、子孫に認められて死に、死後は子孫から供養を受けることなのだ。

今度は逆に、そういうふうにできなかった人の祟りが不幸せをもたらすのだと。そういう循環みたいなものが、日本人の信仰にはあったわけです。けれども子孫の供養を受けることができるかどうか不安なときには逆修というように、自分自身で供養するのです。この習慣は中世以来あります。

 

 

 

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