こういうふうに、人間にとって大切なのは、来世で神の国に生きることなのだという発想と、そうではなくて、現在生きている自分の世界だけが絶対なのだ、それしかないのだと。そこをいかにして充実して生きるか。同時に、残された人にも充実して生きてほしいと。こういうふうな言い残しを残して、5千何人かの人が犠牲になったわけですね。
もう一つ、こういうふうに現在の人生を非常に重視して、それをいかに充実して生きるかということは、アメリカの社会ではすでに子供がそういうことを教えこまれているわけですね。具体的に申し上げますと、ニューヨークの小学校5年生が書いたブッシュ大統領宛ての手紙です。「もしブッシュ大統領が反撃するなら、アメリカ人が何をすることになるかわかっていないということです。みなを緊張と不安のもとに置き、アメリカ人だけでなくアラブの人たちもたくさん殺すことになるでしょう。彼らにも人生はあるのに」という。つまり、アラブの人たちも一生懸命生きていこうとしているのだと。自分たちと同じように子供はこれからずっと生きていくとのだ。彼らの生を充実させるために、爆撃はやめてほしい、戦争はやめてほしいと。
こういうふうな申し出を考えてみますと、ここにあります一連の、この間起きた事件のうちに非常にはっきりと、あの世のほうが大事なのだと。だから、あの世の神の国へ行くためにはこの世でテロをするのだという発想と、いや、この世しかないのだ。だからこの世の生が大事なのだと。そういうまったく異質の2つの世界観がぶつかっているといいますか、そういう形でこの間の事件をとらえることができるわけです。
そうした意味で、私は演題を出したのですが、日野原先生が、「人はどこから来てどう生き、どこへ行くのか」というテーマをお出しになりました。そこで私が研究しております日本の民間信仰では、これまで伝統的に自分たちは「どこから来てどう生きて、どこへ行くのか」についてどう考えていたのか、そのことをまずお話ししまして、それに対して今度は新しい、それとは違った生き方、さきほど申しました往生観として、どんなものが芽生えつつあるのかをご紹介していく。そういう順序で話をしてみたいと思います。
日本の民間信仰では人間は、霊魂と肉体との2つから構成されているとしています。赤ちゃんが生まれます。そうしますと、その生まれた赤ちゃんに、山の向こうの祖先の国から、霊魂がやってくる。海岸近くですと、海の向こうから魂がやってくる。そうしてその霊魂が赤ん坊につく。それで赤ん坊が「おぎゃあ」と泣くと。だから、霊魂と肉体が一体になることによって生が始まるわけですね。そしてそのあとは、霊魂の成長と合わせて肉体も成長していく。そういう信仰になっております。このへんのことはレジュメに書いておきました。ですから、病気になったりするのは、霊魂を中国語では「気」と申しますので、気が弱るとか、気がしずむとか、気を落とすとか、霊魂そのものが体から離れようとする、あるいは弱ったことによっている。そこで霊魂を元気づけるとか、活性化することによって病気を治すわけです。ですけれども、だんだん年をとるのに従いまして、肉体が弱ってくるに従いまして、霊魂も弱ってくる。
その霊魂が身体から離れることによって死が起こるわけですね。ですから、レジュメにも書いておきましたが、死者の霊魂をもう一回呼び戻すための魂呼びという儀礼をやりますし、あるいはまた、末期の水も霊魂をよびもどす為のもの解釈されますし、枕飯も霊魂を呼び戻すためなのだと。