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「もしあなたが経験しないようなこと(例えば病気になったり子供を失ったりすることはまだ経験ししたことがない)でも、あなたがそれを感じとるような感性がなければ、看護婦になるための勉強はやめたほうがよい」と。ナイチンゲールは非常に厳しい教育者でもあった人ですが、感性は生まれつきのものだと考えておられたようで、その感性に欠けておれば、もう看護婦という職業に就くのはやめて転向したほうがいいと大胆な言い方をしているいます。

私は看護教育には昭和19年(1944年)から聖路加看護大学の前身にあたる聖路加女子専門学校で教えておりました。私は「赤本」といわれた看護の教科書をたくさん書いたのですが、それ以来半世紀以上にわたっていまだに看護の教育にタッチしております。

私は、日本人女性は世界のどの国の女性よりも看護に適した感性があるように思っています。ナイチンゲールのように厳しくは言いませんが、塾で勉強していい学校に入ることだけを目指すような人、人生にタッチしないような人には感性が養われるチャンスは乏しいのではないでしょうか。病む人を見舞いに行くとか、その人を励まして支えるというような経験を学生のときからすることによってはじめて、皆さんはその人の苦しみや悩みが自分の苦しみや悩みのように感じられるようになるのです。したがって、よいナースになるためには、よい講義を聞くだけでなしに、病む人の友になって、ケアの技術は未熟であっても、そばに座って手を握ってあげたり、あるいは話を聞いてあげたりするということが、教室では得られないケアのアートの教育となるのではないかと私は考えています。そういう環境を学生のときから持つことが大切なのであって、もしかしたら授業に出るよりももっといいことかもしれません。長年看護大学の学長を務めた私がそう思ったりもするのです。そういう環境の中で、皆さんは、病む人のケアをする感性が身についていくのです。結婚をして子供を産まなくても、白血病で死んでいく子供のお母さんの気持ちが、お母さんと同じように感じられる感性が磨かれるのではないかと思います。

教育というものは教室だけで行われることではありません。むしろ教室外で身につけることが多いのです。あるいはきょうのように、この天高い秋晴れの日に、「死」というものを考えることも適しているかもしれません。

 

ホスピスケアということ

日本では、医療の場において、死を前提に何かを話したり考えたりすることは長い間タブーとされていました。

20世紀も後半に入ったころ、医療の分野にはさまざまの新しい動きが見えてきのした。1967年にシシリー・ソンダース先生は、ロンドンの郊外にがんの末期の患者さんを収容するセントクリストファーズホスピスを設立しました。同じ年、心臓移植が南アフリカのバーナード博士によって行われました。その後心臓移植技術は非常に進んで先進国ではかなりルーチンに実施されるようになってきましたが、日本では不幸な経過があったため、33年たってようやく大阪と東京で行われました。

さて、セントクリストファーズホスピスのソンダース先生ですが、彼女は最初は看護婦でしたが、脊椎に病気があったためにソーシャルワーカーに転職したのですが、そのときにがんの苦痛を訴える患者さんに医師が何もしてあげられないのを歯がゆく思ってみていました。

 

 

 

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