日本財団 図書館


そして非常に鬱的な状態に陥りました。夜になってもよく眠れないまま朝を迎えるのです。私が療養していた家は、当時、私の父が広島女学院の院長をしておりましたので、その広い官舎でした。庭にはセンダンの木がありました。きょうのように晴れた日には、夜明けにそこに鳥が来てさえずるのです。それを聞きながら、もしかしたらきょうは熱が下がるのではないかという淡い希望をもつ。ところがお昼ごろになると寒気がしてきて、だんだんと熱が上がってくる。やはりきょうも駄目だったと落胆する。夕方になって、6時を過ぎるころには各家に一斉に電灯が灯ります。電気も配給だったのでしょうか、6時になると、今の電灯よりももっと淡い黄色の電灯がどの家にもつくのです。ああ、これからまた長い夜がくる。また眠れずに、悶々とするに違いない。そう考えると夜のくるのがいやでいやでしょうがない。自分の不幸を思い、絶望的になりながら、泣き寝入りをするような気持ちで浅い眠りにつく。そしてまた、東の空が白くなると小鳥がさえずり、ああ、朝になるのだな、早く夜が明けてほしい、ひょっとして明けてくるこの日が、熱が下がるきっかけの日になるのではないかという淡い望みを持つ。ところがまたその望みは見事にはずれて、午後になると高い熱が出る。そういう日々の繰り返しでした。そして4時間おきに母は温シップを胸から背にかけて当ててくれるのですが、シップをやる母の手はやけどをした手のように赤く膨れている。今考えると、シップをしても肋膜腔の中の水が吸収されるなどとは考えらないのですが、そのころはそれ以外には方法はないものですから、母もそのような治療法をやってくれたのでしょう。その上、民間薬といわれた青臭い煎じた汁を飲めともいわれました。

そういうような民間療法を受けながら、私は10カ月以上も床にあったわけですが、晩秋になってやっと熱が下がりかけたので、私は気持ちを少しは持ち直したのですが、それでも友達に比べると1周遅れてしまったので、もはや私は勝者の栄冠を手にすることはできない、もう医者になるのはやめて、何かほかのことをやろうかという気持ちになったりしました。

療養中の私を慰めたのは、レコードで音楽を聴き気持ちを晴らすぐらいのことでした。子どものときから音楽は好きでしたし、また、学生のコーラスのコンダクターなどをやっておりましたから、ショパンやドビュッシーのピアノ曲を聴いたりして、音楽によって癒しの力を多少は与えられのかもしれません。

 

感性を養う

病も癒え、1年遅れて大学にもどり私はみんなから遅れて入学5年後に内科医になったわけであります。私の同級生が先輩として私に教えてくれるというのも結構つらいものでした。ここにおられる若い人の中に、東北大を受けたけれどもうまくいかなくて、1年や2年浪人をした方がきっといるでしょう。そういう経験をした人でないと、受験に失敗した人の心はわかりません。エリートのままでずっときた人には試験に落ちた人たちの気持ちが全然わからないのと同じように、病気をしたことのない人には、病人の心はわからないのです。死んでいくような病気をしない限り、死んでいく人の心がわかりません。

では、どうやって私たちは体験しないことを理解することができるようになるのでしょうか。きょうここには、看護婦を志願して勉強している方もおられると思いますが、ナイチンゲールはこのように申しました。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION