日本財団 図書館


母親は、学校の先生や公立の教育相談所にもよく出向いて、相談していた。自分の思っていることを、はっきり口に出して言える母親で、担任だけでなく、校長や教頭とも何度も話し合っている。

私が最も驚いたのは、お母さんの子育てはまちがっているとカウンセラーが言ったということだ。子育てを否定された母親はどうすればいいのだろう。第一、子育てに正解があるのか。子育てに、“すべき”があるのか。

この例に限らず、え!そんなことを言うの?と、びっくりするような発言をする先生がいることをよく耳にする。新聞に載らない日はない先生の破廉恥行為もあわせ考えると、いったいどうなっているのかと嘆きたくなる。

子育てハウトゥもの、子育てべき論の氾濫は、母親の自信を喪失させてしまった。自分の子育てはまちがっていたのかと自分を責め、他人の子育てを真似ることにきゅうきゅうとなる。自分の子育て哲学を失っている。個性尊重のオンパレードの中、子育てに個性がなくなっていくのは残念なことである。没個性の子育てから、個性的人間を育てるのは至難の業である。

人生劇場は一人一作の創作であり、作、演出、主演をひとりで演ずる晴舞台である。だれにでも平等に与えられた、神からの賜り物なのである。長島流に、さあ!メイクドラマだ。

もともとがからっとした性格であったのだろう、電話を切る頃の母親は、自然治癒力が機能してきているようであった。声も明るくなり、表情にも笑顔が出ているように思えた。元気を取り戻した。

途中で何度か彼と電話を代わったが、性急さはあるものの、彼の生き方に共感を持てた。大いにほめたたえ、自然治癒力を刺激した。

小出流(注1)ほめて伸ばす指導方法が主流の現在だが、井村流(注2)しかって伸ばす指導法も同じ重さで扱わねばなるまい。ほめることも、しかることも、相手を十分知った上でのこと、ほめるほうにも、しかるほうにも適否があってのことなのだ。この見極めが十分なされていないところに、問題を生みだし解決を遅らせる一因があるのだ。

 

不登校のきっかけ

小学校の時、ふたりの親友がいた。ふたりは学区外であったが、住居地が近い中学に進んだ。彼もふたりと同じ中学への進学を希望したが、認められなかった。当時は、学校選択の自由はまだなかった。これが不登校を生み出してしまった。

母親は、友達ふたりと同じ中学への転校を学校側に申し入れた。何度も話し合いがもたれた。両校校長が合意し、転校が実現した。掛け違えたボタンを掛け直した。不登校原因がなくなった。これで不登校は解決する。だれもがそう思った。

しかし、離れていた数カ月は生きていた。ふたりは別の友を作り、彼との間は日々に疎しの関係になっていた。彼の入り込む余地はなかった。不登校は解消されなかったばかりか、彼にはさらに新しい傷跡を残した。

彼の例は、不登校原因を除去すれば解決するという安易な考えへの警鐘となった。

 

(注1) 小出流 シドニー五輪の女子マラソン金メダリスト高橋尚子選手を「ほめて育てた」という小出義雄監督の教育法。

(注2) 井村流 第9回世界水泳選手権のシンクロナイズドスイミングのデュエットで金メダルを獲得した立花美哉、武田美保の両選手を「しかって育ててきた」井村雅代ヘッドコーチの教育法。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION