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同級生に会う可能性があっても外出可能に(X+1年4月〜7月)

中学3年生を迎え、進路を考える必要が出てきたことと、戻ってきた元気を生かすためにも、適応指導学級を利用することを考えてみてはどうかと提案した。この頃、A子は声を立てて笑い始めており、また他愛ないおしゃべり(TVドラマやタレント、ファッションや音楽、アニメのことなど)を楽しむようになっていた。出席日数を気にしはじめていたA子は、出席扱いになることを知って数週間考えた末に、見学を決めた。

少人数であったことと、自分のペースで通級や課題設定ができることから通級を決断。5月中旬から、試験通級を開始した。しかし、親密な友達ができることはなく、担当の先生との関係が中心であった。学習への意欲は持てるようになったが、進学は定時制か通信制と決めていた。

両親は、通級学級であっても定期的に登校を始めたことで安心し、心配の焦点はまた兄に戻った。兄は定時制高校を卒業し就職先を探していたが、病気のためなかなか決まらないでいた。祖母も含めて、家族や親戚(近所に伯母たちがいる)すべてが兄の就職を心配して、あちこち奔走していた。

 

親と共に遠出を楽しむ(X+1年8月〜11月)

兄の就職先探しの話から、これまでA子が兄に対して抱いていた複雑な気持ちを語り始めた。兄が事故に遭って以来、両親はいつも兄の心配をし、A子はガマンを強いられてきたこと、両親が自分の気持ちをわかってくれないことへの、悲しみや寂しさを感じていたが、どうしてよいかわからなかったこと、事故に遭う前の兄は非常に優秀で、いつも比較され「女の子だからいいけど、もう少し兄に似ていれば…」などと言われていたことを、ポツリポツリと語った。

A子自らが、初めて問題の核心部分に触れることができたことを肯定的に評価し、つらかった気持ちを共有したところ、両親に対しても、今まで言えなかった気持ちを話せるようになった。両親は初めてA子の気持ちに気づき、これまで気づいてやれなかったことを詫びた。以後、両親に対する恐れの気持ちが薄らぎ、要求を出したり、逆に両親からの要求を拒否したりできるようになった。

 

必要に応じてひとりで外出可能に(X+1年12月〜X+2年3月)

進路は定時制か通信制と決めていたが、アニメに夢中になり、できれば声優かアニメーターになりたいという希望を抱くようになっていた。また、何か資格を取りたいという希望も出てきたので、基礎学力を確実につけておく必要があると同時に、同年代の友人関係も作れるような素地を作りたいと考え、治療的家庭教師を派遣する提案をした。年齢が近い女子学生をと考えて、心理学科の学部生を紹介してもらったところ相性が良く、毎回楽しく勉強とアニメやファッション、タレントの話ができるようになった。

また家庭教師と共に、アニメのイベントなどに出かけられるようになり、そこで知り合った同人誌仲間と、次のイベントでの再会を約束するなどの積極性が見られるようになった。

 

 

 

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