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悪さをして不良になっているほうが楽しかったから皆にさんざん迷惑かけて、中学3年の夏休み過ぎ3度目の家出をした。結局、つかまって学校に行くことを約束させられた夜から、吐気に襲われるようになった。行かなかった学校が、行けない学校になってしまった。いろんな病院に行ったが、どこも悪くないと言われ、ある内科で心の病から来る拒食症と言われ、相談所のS先生を紹介された。S先生は、今まで親など周囲の者が理解してくれなかったことを、ゆっくり聞いて理解してくれた。驚きでもあったし、うれしくもあったという。

お母さんは、どんなことをしても治してやりたい、諦めたくないと、ひとすじに思っていたのです。が、食べることにつながるいっさいを拒絶してしまったY君は衰弱し、外に出ることも家の中で何かすることも困難な状態になり、1998年母に対する口の暴力から身体的暴力へと、エスカレートして行くことになりました。お母さんは早朝パートの仕事を続けながら、Yのためになることを言ってあげたい、いい言葉を教えてと、病院や会の友人に助けを求めました。

そして勧められたのは、離れて暮らすことでした。会は、両親に信頼できる専門家に相談することをすすめました。両親は、札幌のT医師を訪ねてアドバイスを受けながら、別居に踏み切りました。それまでは、お母さんがほとんどのことを引き受けていたのですが、おばあちゃんと、お父さんがY君と接するようになったのです。

T医師からは、ちょっと話しただけで全部わかってもらったと思えるような、的確なアドバイスを折に触れてもらいました。それだけに昨年、T医師が東京に行かれた時は見捨てられるような気がしたといいます。しかし、ちょうど良い時期だったと思う、自分の考えでYと接するようになれたのだからと、お母さんは述懐しています。

そして、お母さんは自分の楽しみも広げ、今ははるにれの会のウィークディ行事、“ほっとタイム”のリーダーです。

お父さんもアウトドアの経験を生かし、ピュアの相談役兼指南役で、釣りでは子どもたちから“師匠”と慕われています。家族一人ひとりが自分の生き方をちゃんとする努力をしているのです。

Y君も今年は飛躍の年でした。前述した、「不登校・引きこもりフォーラム」では会場から壇上に上がり堂々と発言したり、今までは体調が悪くて思うようにできなかったピュア活動も中心的にこなし、ついに今年のキャンプには参加できて大活躍でした。Y君の夢はS先生のように、苦しんでいる子どもたちの悩みを聞いて、あった 

かく包んであげられる大人になることだと聞いています。時間はかかってもいい、ゆっくりと自分のペースでやって行こう。Y君はこう決意しています。

 

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みんなで楽しく、そばうち。

 

終わりに

私たちは良い相談者(専門家)に巡り会うことと、親の会で活動することは、不登校・引きこもり、あるいは非行など子どもに関することを解決の方向へ導いて行くための車の両輪であり、どちらが欠けても本当の自立はかち取れないと考えています。焦らず無理せず、ゆったりと進んで来ました。その姿勢を崩さずに、地域の人とのつながりをふくらませて、自分も楽しいし、子どもたちに希望を持ってもらえるような世の中にして行きたいというのが、次のステップです。

悩みはあります。相談活動をどのようにしたらよいのか、会員の持つ力をどう発揮してもらえばよいのか、たまり場を持つべきなのか、全部前向きの悩みです。きっと道は開けていくと信じて、一歩一歩進んで行こうと思います。

 

 

 

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