Aさんが、はるにれの会やピュアに劇的な再デビューを果たしたのは、2000年3月12日のことでした。拠点を持たないはるにれの会は、ピュアの会場になっているSさん宅の地下室で、北海道立精神保健福祉センター相談部の臨床心理士さんを囲んで、役員会をしていました。私たちが以前から懇意にしていた「もうひとつの学校を考える会」のHさんといっしょにやって来たAさんは、20歳の娘さんでした。涙が先に出て言葉にならないAさんを、「よく来たね、今話さなくてもいいんだよ。無理しないで」と声をかけたり肩を叩いたり、心の底からAさんの訪問を喜びました。
Aさんは涙とともに、道南のフリースクールのこと、中学時代からのいじめのこと、家族の中で孤独なことを話してくれました。Hさんと来たのは、妹の家庭教師をしてもらっていて、Hさんがはるにれの会に参加すると言ったので、どうしても話をしたいと連れて来てもらったとのことでした。この再デビューは彼女自身が決めたことだったので、その後も声をかけると出かけてきました。
Aさんはピュアを、「みんなが出る所に出なきゃ損する。何か秘密の、いい場所って感じ」と表現します。他の会員宅に泊まったり、自宅に他の子を泊めたり、人に酔って気分が悪くなったりしながら、2001年2月4日、はるにれの会主催の不登校・引きこもりフォーラムで、ピュアの代表のひとりとして壇上で話ができました。
今年のキャンプでは、お父さんお母さんの活躍もさることながら、「ちょっと落ち込んでるの」と言うAさんでしたが周囲の人に明るい笑顔を見せ、Aさんの周りにはホッとできる雰囲気があると皆感じたものでした。
Aさんは、お父さんとお母さんがけんかをするのがちょっとと言います。「けんかするのは、それだけ身近だから。大人になったら、あ、そうかと思うよ。親のけんかは子どもにとってつらいけどね」と言うと、黙ってうなずきます。Aさんがピュア通信に書いた釣り大会の一節を紹介します。
――大人たちはお酒を飲んで真っ赤になって、笑い声が聞こえて来る。お父さんが魚をさばいてくれ、刺身にしてくれてみんなで食べた。とてもおいしかった。本当に今日はいい思い出になり、私もそうなんだけどお父さんとお母さんが、いちばん楽しそうに見えて良かったなあと思った。今日一日を本当にありがとう。
●事例2. Y家の場合
不登校期間 中学3年2学期〜 15歳男子