日本財団 図書館


1年目は距離をおきながら、クラスの取り組みとしてビデオレターや本人あての通信発行で働きかけていきました。2年目は、家庭訪問学習から夏休み、冬休み期間中の登校学習が試みられました。焦らず、本人の意志を確かめながらのことでした。この時期、息子自身から担任に、「クラスの皆に遊びに来て欲しい」と告げました。担任はクラスに伝え、それが実現しました。小学校からの付き合いで気心が知れています。2日に分けて、クラスメートは遊びに来てくれました。

3年目には、通常日に登校して、1校時だけ別室で授業を受けることになりました。週1回程度登校して、担任の授業を受けます。制服も着ず、家にいる服装のまま出かけていきます。時にはクラスに導かれて顔を出したり、別室にクラスメートが訪ねることもあったようです。

そうしているうちに冬が来て、卒業式の前々日、今まで気にかけてくれていた女子から、卒業式はどうしてもクラス全員で出席したい、クラスに呼びかけてよいかどうか、本人はいやがらないかと問い合わせがありました。だれかにそうして欲しいと願っていた私は、「大丈夫だからやってみて欲しい」と答えました。

 

感動の卒業式

ひとりの呼びかけからクラスが動きだし、卒業式に向けて特別プログラムが始まりました。式の前日担任から、クラスで決定したがどうかと打診がきました。まだ本人を気遣って、消極的になっているようでした。もう、3年間の担任との積み重ねがある。本人と担任との信頼関係は築かれている。「先生から強く、卒業式に参加するように言ってかまいません」と話し、息子に電話を取り次ぎました。息子がどう返事をしたかは、その夜11時になってわかりました。

「着て行く物(制服)あるのかな…」と息子から聞いてきたのです。3年前に買いおいた制服は、やっと前ボタンがかかるほど。ズボンはどれもサイズが合わず、家中のズボンを出しても間に合いません。本人も仕方なく、「いつものスウェットでいいや」と腹を決めた様子。上靴もそのとおりで、はける靴はなく「学校のスリッパで間に合わせる」と言います。式場でそのスタイルは、どう考えてもチグハグだ。そうこうしているうちに、午前1時を回ってしまいました。

早朝、担任にその旨電話して、このスタイルで登校すると言うと、学校で何とか手を打ちますという返事でした。朝、本人は起こされなくても自分で起床し、緊張気味にあれやこれや言っていましたが、外から大人数のザクザクと雪を踏む足音が聞こえてきました。2階の窓を開けると、玄関前にクラスメートが並んでいたのです。息子はチグハグな制服を着て、いっしょに登校して行きました。

式典では担任のズボンを借り、忘れ物の上靴をはいて卒業式を終えました。だれもが感動する卒業式になっていました。

 

2次募集〆切前夜の決断

義務教育を終えて、それぞれが違う道を進むことになり、息子は自由になったように見えました。今までの、元の場所に戻りたい、戻らなければならないという思いから解放されたようでした。一応、進路指導で進学か就職か二者択一が問われますが、就職先などは皆無で、本人は最後に「今のままでいたい」と言っていました。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION