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夏休みだったので、彼女は気楽に犬の散歩を楽しんだ。枠にはまった考え方から、なかなか抜け出せない私は、こんなに元気になったのだから2学期からは登校するのでは、と期待した。

 

学校を相対視する

しかし、そうはならなかった。自らも、学校嫌いの経験がある教頭は言った。どんな風にこの不登校を乗り越えていくか、楽しみに待ちましょう。学校を絶対視するのはやめて、相対視するとよい。学校は、子どもが自分のために利用する所なのだから。今、絵里ちゃんが経験していることは、きっと大きくなってから役立つはずですから。薄皮をはぐように、ゆっくりいきましょうと。女の先生で、厳しい人という評判だったが、私は学校を相対的に捉えることを当時彼女から学べたことを今でも感謝している。

私はよく教頭に会いに行き、娘の様子やA先生との話の様子、学校や担任にお願いしたいことなどを話した。彼女はいつでも親切に対応してくれた。私は学校と敵対するのではなく、努力して信頼関係を築くことが娘のために非常に大切と思っていたので、こまめに連絡を心がけた。

絵里が元気になってくると、私は行かなくていいのよと言ってはいたが、内心ではやはり登校して欲しいと思った。彼女はそれを見透かして、「おかあさんは本当は私を学校へ行かせようとしている」と、よく言っていた。

 

校長の心を感じた娘

秋になり、校長が一度絵里に会いにきて下さった。お裁縫セットがひとつ余分にあるので、絵里が学校に来た時にプレゼントしようと言った。校長は、背後に学校を背負っているような立場の人だから、絵里はつらかったのだろう、「おなかが痛い」とつぶやいた。校長は、わかった、先生の顔を見たらおなかが痛いのだねと言ってすぐに帰っていった。

マニュアルでは、校長が子どもに会いに来るなんてプレッシャーだということになるかもしれない。でも彼は、絵里のことを感受性の豊かなお嬢さんと理解を示してくれたので、彼のとった行動を非難しようとは思わなかった。そして、校長の気持ちが通じたのか、絵里はある日やっとの思いで学校に行き、校長とお茶を飲み、お裁縫セットを戴いたのだった。大切なのはマニュアルではない、心だと実感した日だった。校長がもし絵里をだめな子だと思っていたら、娘は会いに行かなかっただろう。相手が自分の味方かどうかを、鋭く見抜く力が備わっているのだと思う。

10月半ばになると、学習発表会の練習が始まった。音楽の好きな絵里は、楽器演奏に出ることになった。やはり、練習がしたかったのだろう。絵里はいつのまにか、毎日学校へ行くようになっていた。A医師からは、小さなことでも楽しいことを見つけようねといつか言われていたが、私は娘が音楽が好きで本当に良かったと思った。好きなこと、やりたいことが結局は人を支え、日々の暮らしに喜びを与えると感じた。それは子どもでも同じなのだ。

 

 

 

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