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プレッシャーからくる恐怖感

しかし僕は、そもそも大学に行く動機や意志があいまいで、ただ予備校に通っていただけだったので、成果が上がるわけもありません。その割に「名の通った大学にしか行かない」という変なプライドがあって、受験が近づくにつれ、自分でも気づかぬうちにプレッシャーが膨らんでいったのだと思います。

そんな年の瀬のある晩、布団に入ってしばらくすると、心臓のドキッドキッという鼓動が妙に気になりだし、それがますます激しい動悸になり、急に「このまま死んでしまうのではないか」という恐怖感に襲われました。ふらつきながら同僚に助けを求めた時には、苦しくて声を出すこともできず、そのまま救急車で近くの病院に運び込まれました。

両親が夜中に車で駆けつけてくれ、「特に命に別状はなく、疲れからくるものでしょう」ということで、翌日実家に戻り、しばらく休養をとることになりました。

念のため検査をして、「体は異常なし」ということだったのですが、動悸、頭重感、吐き気、微熱などの症状が続き、すっかり気力をなくしていきました。

結局、そのまま新聞店をやめ、受験も結果が出せず、もう1年浪人生活を送ることになったのです。2浪目は、自宅から予備校に電車で通い、勉強に専念できたせいか、成績も思った以上に伸びて自信もつけていきました。

でも、またしても年の瀬が近づく頃、今度は予備校帰りの電車の中で、突然激しい動悸に見舞われました。次の日からは、あの恐怖がよみがえり、電車に乗ることさえままならなくなりました。行きはよくても帰りにパニックになり、友人宅や救急病院に逃げ込み、泊めてもらうということが度重なっていきました。

さらにまた受験が近くなると、プレッシャーからか家から出ることさえつらくなり、自分の部屋にいても一日中何もする気が起きなくて、ゴロゴロしていることも多くなりました。祖母に、「お前はもう狂ってしまったんじゃないのか?」と、さげすんだような目でいきなり言われ、僕はそれにムカッときて、「このクソババー!テメー!」などと叫びながら物を投げつけ、食ってかかったこともありました。

それと、昼頃まで起きてこない僕を見かねて、父が一度だけ「もういい加減にしろ!」と大きな声で怒ったことがあります。そのひと言で、僕はそれから何カ月も父と口をきかなかったものです。

2浪目の受験も、試験当日になって運悪く風疹にかかってしまったりして、惨憺たる結果に終わりました。しばらくは、友人からの電話にも居留守を使い、ただぼう然と部屋にこもっている状態が続きました。そんな時は、眠りも浅く、よくイヤな夢を見ました。いちばん恐ろしかったのは、自分の葬式の夢を見た時です。「もう死ぬしかないのかな〜」という気持ちがわいてきて、もうどん底にいる感じでした。

 

死んでもいいから、もう一度やってみよう

それでも少し気持ちが上向きの時もあって、そんな時はヨロヨロしながら本屋まで出かけ、今の状態をなんとかしたいと、「心」に関する本や「宗教」に関する本を読みあさりました。そこで見つけたある新興宗教の団体に、ワラにもすがる思いで頼っていったこともあります。

はじめは抵抗があったものの、精神科にもいくつか行きました。でもたいていは、「神経症」や「自律神経失調症」と診断され、精神安定剤などの薬をもらって帰るくらいで、解決の糸口を見つけるには至りませんでした。今考えてみると、僕だけではなくて両親も、相当に悩んでいたのではないかと思います。

 

 

 

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