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「死んだら死んだでいいや」この開き直りで自分を取り戻した

19歳 男子

 

《家族構成》

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自分について

僕は、K県の海辺の小さな町で生まれ育ちました。家族は、両親と弟、祖父母。

幼い頃には、父の弟ふたりもいっしょに住んでいて、よく遊んでもらったことを覚えています。

両親は商売を営み忙しく、僕も時々手伝いをしながら身近に両親の働く姿を見て育ったことは、僕の後の人生に少なからぬ影響を与えました。友人や、学校の先生などにも恵まれ、のびのびと子ども時代を送れたことも、今の僕の基礎になっていると思います。

しかし反面、自分の意に反することにぶつかると、意固地になって、なにがなんでも我を通そうとしたり、神経質で、ちょっとしたことにクヨクヨする性格は今も変わりません。

 

―経過―

迷いの中へ

それまで順風満帆にきていた人生に“逆風”が吹き始めたのは、高校2年生の終わり頃です。

野球部に入っていたのですが、先輩後輩のタテの関係にどこかなじめず、同級生ともなぜかウマが合わず、だんだんと部活に出ることが苦痛になってきました。そのうえ、頭痛、腹痛、ケガなどが重なり、2年生の3学期に退部しました。

それで、少しは気も楽になって3年生になったのですが、進学校だったため、周りは徐々に受験一色の雰囲気になっていきました。しかし、今度はそれがイヤで、なんだかんだと理由をつけて、遅刻や早退をしたり、欠席する日も増えていきました。

部活をやめてまもなく、体力を持て余していたこともあって、新聞配達のアルバイトを始めました。学校を休みがちになってからは、次々と短期のアルバイトに精を出し、お金がたまると何日かひとり旅に出たりと、今思うと、いろいろ不安な気持ちを紛らわそうとしていたのかもしれません。

出席日数ギリギリで、ようやくの思いで高校を卒業(途中、中退して大検を受けることも考えました)した後、すぐに上京しました。新聞店で住み込みで働きながら予備校に通い、一応大学を目指すことにしたのです。

新聞奨学生制度を利用して、全国各地から同じ世代の仲間が親元を離れ、それぞれの目標を目指して学びつつ働く職場はとてもユニークで、他では学べない多くのことを学んだ気がします。

 

 

 

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