この罪悪感のため、日中は家から出られなかった。人の目がいやだった。家から出るとしても放課後や休日、つまり、子どもが外にいてもおかしくない時間。放課後でも、下校時間は避けた。他の生徒に会うのがいやだったのだ。しかし、引きこもりというものではないことを明記しておく。
小学校は登校拒否を始めてから一度も行かず卒業する。中学校は、1年の時は入学式に1日行っただけ。2年になって担任が変わり、月に一度担任の先生に会いに行くだけで登校拒否を続ける。
中学2年の10月に母の勧めでフリースクールに行き、そこで中学卒業まで勉強し、高校へ進学する。
私が登校拒否をしている間、家族は受け入れてくれたし、私という人間を認めてくれた。両親も、色々手を尽くしてくれた。この受け入れ、認めてくれる環境が自立へとつながっている。
登校拒否という意志表明
私の自立への第一歩は、登校拒否という意志表明をしたことである。学校に行っていないということだけで、自立していないと見る人がいるし、また社会もそう見ているが、私はそう思わない。不登校、登校拒否は子どもの自己主張であり、自己決定である。つまり、自らのことを自らの力で決めたのである。
これは、人間としてすばらしいことではないだろうか。不登校、登校拒否がすばらしいということではなく(もちろん、だからといって卑下することはない)、自分のことを自分自身で決める、自分の気持ちを大切にしているということである。このことを踏まえて、私の自立への過程を書いてみたい。
私は、自立するためには、自己肯定感が不可欠であると考えている。簡単に言えば、自分を好きになること、自信を持つことである。しかし、この時邪魔になるのが、学校に行かないことへの罪悪感や劣等感といった、不安定な感情である。もちろん、これらは本来、持つ必要のないものである。前に書いたとおり、私にも罪悪感や劣等感はあった。また、長い間学校に行っていなかったため勉強も遅れ、そのことへの焦燥感もあった。将来に不安も感じていた。
恩師との出会いと両親の信頼
そんななか、母がフリースクールに行ってみないかと言ってきた。最初の頃は、フリースクールに行けるくらいなら学校に行けると思っていたのだが、話だけでもというので、行くだけ行ってみた。中学2年の10月のことである。
そこで、今私が恩師として慕う先生に出会う。私に、自分を好きになるきっかけをくれた人だ。彼は、いろいろなことを話してくれたが、印象に残っているのが、「がんばらなくてもいい」というひと言。私はこのひと言によって、肩の力がすうと抜けていくのがわかった。「疲れたら休んでもいい」と、私の登校拒否を認めてくれたのである。
それから、このフリースクールに通うようになった。
そこでは、たくさんの人に出会った。友達もできたし、大学生のスタッフの人たちもいい人ばかりだった。