これは中央権力が何もしてくれんということをよく分かっているわけです。それから、「談合は道理をもって行い、骨肉や主従の義理には絶対に縛られない。常に多数意見を尊重し、少数意見の人もそれに従う」と言っています。これはまるで民主主義の盟約書です。これがあったものですから、中国人も朝鮮人、琉球人もみんな信用したんです。獲物はきれいに公平に分配します。ですから、東シナ海の一大勢力になりました。海賊ですから残念とは言いませんが、天正十六年、これも豊臣秀吉の天下統一で、自然と消滅していきます。日本の二大海賊の話はヨーロッパの海賊ほどのスケールの大きさを持っていません。つまり生活のため止むを得なかった素朴な海賊集団だったと私は思います。
時間がもうそろそろなくなってきていますので、簡単に、江戸時代の日本の対外政策というのは、一体どうだったかという話をしてみます。
私は、徳川幕府の水軍というのを熱心に調べてみて、驚いたことがあるんです。徳川幕府の水軍というと、まず船手頭というのが五人おりました。