それで労働力として人間を奪って来ました。最初のうちはまだよかったのですが、李氏朝鮮になってから捕虜一人につき木綿二匹を与えるという懐柔策を朝鮮側がとったわけです。そのため、朝鮮の捕虜を戻してやれば木綿二匹を貰えるというので、みんなが人を奪いに行っては連れ帰って来て、対馬に持って行く。対馬が朝鮮にそれを返すと朝鮮が木綿を二匹与える。二匹というのは、一匹が二反ですから二匹は四反です。木綿を四反もらえるものだから、奪ってきちゃ返すという悪循環になって、いつまでも人さらいがやまなかったのです。
これは結局、高麗王朝の滅亡の原因になりました。この時の倭寇の規模を調べてみますと、せいぜい船は二、三十艘、一艘当たり二十人か三十人、それぐらいの船です。ですから、大したことはなかったと思います。ただ、本当にこれが酷くなるのは蒙古襲来以後です。
蒙古がやって来た時、この松浦党の本拠地は徹底的に叩き潰されました。蒙古、高麗が、博多に来る前に、松浦党でいつも迷惑している倭寇の本拠地はあそこだから、あそこに行って本拠地を潰しておこうと頼んだんじゃないかという説がありますが、私はそんなことはないと思っています。