軍隊の食糧を海賊に運んでもらうのが一番早かったので、お金を出して海賊を雇うんです。そして、雇われて陸上戦に参加する傭兵集団という役割も担うようになりました。ですから、通行税を取る一方、傭兵集団としてあちこちに雇われて、食糧援助、補給を支えることで、きちんと生活が成り立つようになったんです。それが村上海賊衆です。これは、当時の日本で最も力のあった独立集団だったのですが、秀吉の天下統一によって消えて行きます。村上武吉は、最後には秀吉の追求を逃れ逃れて周防大島まで行き、一生を終えています。私もその後を追って周防大島に行ってみましたが、あの人が住んでいた伯方島によく似ていて、晩年はちょっとかわいそうだなと思いました。ああ、この人は自分の一番良かった頃と一番似たところを選んで、そこで死んだんだなという気がしました。
それからもう一つ大事なことを忘れていました。海賊の本拠地というのは、皆さんもお行きになったら分かると思いますが、あの能島は周囲がたった四百メートルの小島です。この小島に三層も四層も天守閣を作り、海の上に張り出した城から指揮をとっていたに違いないでしょう。そして、周囲四百メートルの小島を、五百艘の小舟で取り巻いておったということです。夜ともなると合図があり、その五百艘の小舟の中から数十艘が夜の瀬戸内海に出て行って、逃げ隠れして通ろうとする船には、ためらわずに襲いかかりました。