この人たちは漁はもちろん農業もしません。何をするかといったら、武器を研いで、磨いて、操船の訓練をして、いざ廻船が来た時に乗り込んで行きます。金を払わんやつを罰するために、もっぱら訓練された兵隊ができたわけです。そういう形が、次に来島、因島にもできました。
ただ、因島というのは、行かれたらよく分かると思いますが、ここはお米が穫れますのでちょっと事情が違います。瀬戸内海というのは、非常に綺麗で気候は大変いいし、年間雨量は日本で一番少ないんじゃないでしょうか。特にみかんなどの果物がたわわに実っています。野菜も多く穫れます。ですから、一見豊かに見えるんですが、実は豊かではないんです。肝心な米が穫れません。米麦が穫れない所は、やっぱり貧しいんです。だからどうしてもお米が必要でした。その意味でもっと貧しいのは、この後で述べます松浦党です。とにかく村上武吉はこういう兵農分離の集団を作って、自身が海賊大将軍と名乗って独立してしまったんです。その当時はそばに毛利氏、大内氏の他にも、随分たくさんの戦国大名がおりました。戦国大名もかなり遠方の合戦をするようになっていましたから、これらの戦国大名もこの海賊を陸上戦で利用しなくちゃいけないから、言うことを聞かざるを得ません。