この人たちは海賊として遇されているかといったら、そうではない。ちゃんと海軍として国内では遇されています。
瀬戸内海では藤原純友のあと、瀬戸内海の海賊をきちんと統一する人が現れました。これが元亀・天正に出てきた村上武吉という人で、村上水軍の親分です。この村上家というのも、実は調べれば調べるほどよく分からないところがあります。簡単に言えば、やはり土着の豪族の河野家の水軍の部門、いわゆる海戦の部門を受け持っておった大将の一人として、特に島を任されたのではないかと思います。その中から、戦国時代になって、村上武吉という非常に優秀な組織者が現れてきます。この人の弟が村上通康といいます。もう一人弟がおりまして、これは村上吉充といい、この兄弟が三つの島に分かれるんです。通康という次男は、四国の高縄半島の先にある来島という所に本拠地を据え、兄貴の武吉は芸予諸島の真ん中の能島という所に本拠地を据えます。そして三男の吉充は広島県三原のすぐそばの因島に本拠地を置きました。この三人が結束することによって、瀬戸内海の中央部を、きっちりと自分たちの領海として規定してしまうんです。