これは海に捨てられたと一緒ですから、助かる保証は何もないわけです。ただ、読売新聞社会部がお書きなった『マラッカ海賊海峡』を読んでいる限り、殺そうという意思はあまり感じられません。ですから、とにかく物を奪えばいいという意味では、やはりよく似ていると思います。
このマラッカ海賊というのは、海賊史という視点から見た場合、まだまだちゃんと組織化していないから、これはやっぱりばらばらにやっていた古代・中世海賊の流れを汲むような人たちだと思います。後でお話ししますが、歴史上ではこれを組織化する人間が必ず出て来るということです。
一番最初に瀬戸内海で海賊を組織化したのが、有名な藤原純友という人で、これは古代の律令制度の時代の話です。簡単に話しますが、要するに律令制度が非常に腐ってきまして、役人は民・百姓を人間として見ずに、税金を取り上げる道具としか見ていない、本当にどうしようもないほど図々しい役人が増えてきた頃です。
藤原純友という人の経歴を見ますと、藤原北家の分家の出だといわれます。あるいは伊予河野氏の一族で高橋という姓だともいわれ、判然としません。伊予の河野氏というのは、京都から下って来た、いわゆる官僚系ではないです。国の造という古代から土着の豪族です。