ただ、そういう呑気な話ではなくて、これは海賊の話なんですけれど、瀬戸内海は多島海なので、非常に入江が多いんです。入江が多いということは、島がたくさんあるということですから、どの島からでも小舟を漕ぎ出して、袋の中に入ってきたネズミを捕るように、往来の船を突然襲って生活必需品を奪って、さっと逃げて来るという、これが瀬戸内海の古代の海賊の姿です。
古代・中世の人たちにとっては、海賊というのは生きるための生業でありまして、別に悪いこととは思ってなかったわけです。海賊は非常に残虐だと言われますが、松浦党の場合でもそうですけれど、大して人を殺したりはしていません。要するに、生活必需品を奪って、あとはさっさと逃げてしまうという例が多いようです。特に私が面白いと思いますのは、家船の船の夫婦の場合ですが、それを襲った時は、抵抗する亭主のほうは蹴飛ばして海に落としてしまうけれども、奥さんと子供は助けているという例がかなり多いんです。ですから、海賊は必ずしも残虐とばかりは言えない一面を持っていたと思います。
現代のマラッカ海峡では、日本船籍の船のテンユウ号の乗組員十四人が行方不明になっており、恐らく亡くなったか殺されたんじゃないかと言われています。その次のアロンドラ・レインボー号の場合も、十七人の乗組員が救命ボートに乗せられて流されています。