玄界灘に壱岐対馬という島があるだろう」と説明すれば、「ああ、壱岐対馬か」と、みんな分かってくれるんですが、ほとんどが壱岐対馬という一つの島だと思っているんです。酷いのになりますと、私が「ちょっと壱岐に帰るんだ」と言ったら、「ビザどうするんだ」と言ったやつがいます。私はそのことにちょっとショックを受けまして、「おまえは僕を韓国の人と思っとったんか」と言ったら、「いや、聞こうと思っとったけど、何となく聞きにくくて黙っとった」と言われたことがあります。その程度の認識です。
私は今でも大して変わらないと思っています。例えば、壱岐の人に話を聞きますと、時々面白い人がいて、壱岐でタクシーを拾って、「おお、ちょっと対馬まで行ってくれ」と言うのがおるそうです。壱岐から対馬までは、八十五キロの海路です。対馬まで行ってくれって言ったって、海の上を走って行けるわけがありません。その程度の認識しかない人は、昔から今に至るまで、ずっといるということです。
ちょっと話が飛んでしまいますけれども、海に関しても、僕はやはり似ていると思うんです。日本人の海に対する意識というのは、例えば江戸時代は、消費の中心都市の江戸に、あらゆるものが北前船などによって集まっていました。江戸に来るものは下りものといいます。