総括
沿岸域管理の理想と現実
巡検の締めくくりには、その日の巡検で見た事例の問題点と、その背景にある因果関係を再度整理し直し、そして問題解決への現実と理想のギャップをきちんと把握することが重要である。こうしたプロセスを経て、はじめて将来あるべき姿の展望をイメージすることが可能となる。巡検で現場を見ることは重要だが、ただ漠然と海岸を眺めるのではなく、明確な問題意識をもって眺めることが重要で、こうした視点がない限り今日の巡検で学んできたような社会の矛盾点には気づきにくい。
【宇多】 九十九里浜というのは、今日、最初に見ていただいた本須賀海岸のような約1/100勾配の遠浅の砂浜から、今見た、屏風ヶ浦のようにほぼ垂直の海食崖まで、非常に対照的な地形を見ることができます。本須賀海岸と屏風ヶ浦では、距離は離れていますが、砂という視点から見れば1つに繋がっています。つまり砂の流れがあって、その流れがとまったから、その中間に位置する野手海岸あたりでは砂浜が全然無くなってしまっているのです。今日見てきた距離は、普通の感覚で言えば長いと思いますが、海浜変形とか、地質学的なとか、地球学的オーダーで見ると全然遠くありません。それに対して人間のやっている行為は、地域を区切って、その中だけをきちっと守るというものです。それがそれぞれバラバラに行われて来ました。屏風ヶ浦の海食崖への侵食防止対策の消波堤も、北端の名洗の港湾区域と、中央部の旧建設海岸では、構造も少しずつ違います。しかし結果的に、現在海食崖の殆どを消波堤で覆ってしまったわけで、そこからの土砂供給がなくなるということは、飯岡漁港の堆砂から考えると良いことです。しかし、飯岡より南の地域について考えてみると、6×10の9乗m3という砂が何千年もかかって流れついてでき上がった砂浜に、殆ど砂が流れて行かなくなるような事態になったわけです。その結果として起こっているのが、野手海岸のような、ああいう侵食海岸の姿になっているのです。
つまり、全体系をバランスよくさせるには、本来ならば飯岡漁港を造った最初の段階からサンドパイパスを実施して、仮に人工的であったとしても砂の流れを確保しつつ、一方で野手海岸付近では、侵食が進行する前段階でヘッドランドを造って、砂が流失しないよう考えるべきであったのかも知れません。一箇所の対策というのではなく、本須賀から屏風ヶ浦までの約30kmのスパンで見る必要があったと思います。しかし、これはもう後の祭りということかも知れません。
ただ、今日の巡検では、立ち寄った7箇所の海岸のコントラストが如何に凄いかということを理解してもらえれば、北九十九里に来た価値は十分にあったろうと思います。
【質問】 この現状に関して、具体的かつ総合的に、このように関係者が皆で話し合って、何とかトータル的に考えようという場はできつつあるのですか?
【宇多】 ありません。ありませんというよりも「これで何が悪いか」という居直りなんでしょうか。もしくは侵食がここまで深刻であると「とりあえず守るしかない」というだけなのかもしれません。