アビは海面にそれを見つけると、乱舞しながら水中に体ごと突進して、次々にそれを捕まえようとする。するとそれにつられて興奮のあまり、砂底をたゆたう底魚のマダイやスズキたちが浮上してくる。すかさずそこへ今度は、漁師が櫓漕ぎの木造船でそっと近づき、値のいい高級魚をせっせと釣りあげていく。
櫓漕ぎ船とあえて断るのは、アビを音で脅かさぬための気配りからだ。かき回し役のイカナゴたちは、夏を迎えると長期休暇をきめこみ、砂の中に潜ってこっくりと休眠してしまう。豊饒な海に繰り広げられる悲喜こもごもな、まるでおとぎ話のような絵柄だ。
だが厳冬期から春先にかけて営まれた、雅やかなこの伝統漁法も、すでに幻と化して漁業としては現存しない。海底の砂床を根こそぎえぐる工事用の砂採取が、イカナゴの宝庫をすっかり荒らし、飛来するアビもめっきり数を減らしたからだ。ふたつの漁をつなぐ糸は、行きずりの海鳥を猟犬のごとく、漁場捜しの伴侶になぞらえてきた海人の心の豊かさだろう。その消滅は生きものたちだけの、美しい物語の喪失に止まらず、ヒトが学ぶべき教訓も多く残す海の悲劇である。
因みにカツオはどちらかと言えば、マイワシよりひと回り小さなカタクチイワシを好む。成長の早いマイワシは大羽と呼ばれる二十センチ大まで、どんどん大きくなってしまう。当のカツオは自分の口に合わせてエサを選ぶ。それも噛まずに丸ごと飲み込む。小ぶりで成長も本来ゆっくりなカタクチイワシは、成魚でも体長十四センチ。察するに、彼らにも食べやすいサイズらしい。
南洋に四十日余りも繰りだす遠洋カツオ一本釣り漁船が、活き餌をカタクチイワシに絞るのも、移動中の船内のイケスで成長が遅いためである。船で畜養する間に魅了するに足る餌として、マイワシはいささか大きくなり過ぎてしまう。味覚もともかく、人間の子どもが食べやすい料理から好きになるのとそっくりで、カツオはどこかいとおしい。そんな溌刺とした少年のようなその愛らしさに、欧米人たちは親しみをこめて、Bonitoという名前を与えた。スペイン語で可愛い魚の意味だという。けれど彼らはその美味さをいまだ知らない。