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そこでは南からのぼってきた黒潮と、千島列島から北海道東岸沖を通過してきた冷たい親潮とが、大らかにぶつかりあう。そして体温の異なるふたつの海流は、身体を温めあう男女のごとく、大海原をしとねにくねくねと抱擁をくりかえす。そこに描かれた広大な寝じわ。それが夥しいイワシやイカやサンマを育む潮目となった。そこから抜けでた親潮は、黒潮続流の北側にまわりこみ、その冷えた足先をさらに温暖な相模湾にまでおし込む。たまさか相模湾の定置網に、雪の落し子・鱈がまぎれこむマジックはこのせいらしい。

本来、塩分が濃くて生物相の豊かな寒流が、黒潮の暖かさに触れたとき、比重差によって表層と下層とが逆転し、プランクトン類を含んだ湧昇域をあちこちに生みだすのである。さらに風の働きによって、海面からおよそ三十メートルの深さまで、海水はいつもかき混ぜられた状態を保つ。

けれど、カツオに関わる加工業者はそこでは驚くほど影も薄かった。ひとつにはエサの潤沢な近くの常磐沖でとれるカツオが、余りに脂が乗りすぎて、鰹節に不向きなためだった。また首都圏が近すぎて、余剰なカツオを地元で活かしきる発想としたたかさが、根づかなかったと惜しむ者もいる。この辺りの魚市場では毎朝、好漁場ならではの魚種がふんだんに並ぶ。こうした土地柄では、人間もカツオには案外つれないのかも知れない。

第一こちらの肌寒い気候風土では、コメを酢に変えるのに必要な、発酵条件も土佐のようには自然に揃わなかった。そこへきて柑橘類は、四国ほどふんだんに実らない。土佐酢に代表される西日本系の果実をからめた醸造食文化に、魚料理が磨かれる場を逸したのも致し方ない話だろう。それゆえ、刺身に醤油という、直球だけの食卓に人々は甘んじてきた。消費量日本一のカツオ王国・高知に生まれ育った細木さんには、それがとても不遇に思えて、仕方がなかったという。

 

 

 

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