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漁師の世界ではだれもが、未来に豊漁を描く。しかも不安なその時の流れに、辛抱強く耐えねばならない。でも所詮、相手は自然だし予測もたたなかった。漁を生業にする身の辛さが、妻子持ちのニワカ漁師の細木さんには、じわじわとひどく身に沁みてきた。

そこでシーズンオフの秋、流れ着くココヤシの実のように愛知へ渡ると、自動車工場の季節工に雇われた。それでもカツオの泳ぐ海は忘れられない。船を下りた日から、その思いはますます強まったという。そんなある日、釣ったカツオでたたき作りを思いたつ。

「最初は魚のさばきさえ、ろくすっぽわからんかった。でも宇佐町の中央市場の隅で毎日、山んように鰹節用のカッオをさばいとるバアちゃん連中がいるのは知っとった。それで毎朝そこへ出かけては詳しく観察し、自分なりのスタイルを必死に覚えたとですが」

ベテランの彼女たちは、カツオ一尾の解体を二分とかからずに済ます。彼の育った土佐市にはそれ専用の、剣のように長くて真っすぐな、身おろし包丁まで売られている。むかしからカツオ漁師の妻たちは、土佐湾の後に控えた仁淀川流域の町や村を、リヤカーや篭で行商に訪ね歩いた。おかげでそこは今なお、高知県内でも断トツなカツオ消費量を誇る。そんな土地柄が、包丁一本にもくっきり物語られているのだった。彼もその道具を使い、器用なさばきを習得した。それからほどなく、産地別に仕入れたカツオで試作品をいくつもこしらえ、彼のタタキ狂いは幕を開けた。

 

 

 

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