たとえまだ釣果はあっても、水温が高い頃の魚体は色変わりしやすく、大型一本釣り船も幅を利かすので浜値はあまりぱっとしない。ただし群れは同じでも一匹ごとにそれぞれ違う、個性や魚格と呼べるくらいの、肉質や色や食味も備えてくる。追いすがる船を引き離すほど豪快に泳ぐ、カツオはいかにもタフに思えた。さらにその裏に隠されたカツオたちの繊細さに細木さんが気づくのは、包丁を握るようになって後のことだった。
フィリピンやインドネシア海域から流れ出て黒潮を漂う一枚の古びたラワン材には、一万尾を超す大群が寄りつく場合も珍しくない。漁師たちはそれをむかしから木付きナブラと呼ぶ。そんな数メートル足らずの木片の周りにナブラを目撃した日には、旅人を詰めこんで砂漠を走る長距離バスの姿を、私なら思うかも知れない。しかも魚たちは、丸太より平板を好む。終戦直後は、漂流中の機雷によりつく人騒がせなナブラもよく目撃されたらしい。けれどその習性は未だ説き明かされていない。
「群れたカツオの背ビレが水面に見えだすと、どんどん釣れだすとです」
もっとも、海面に浮上したナブラが、狂喜して餌を追う時間は、あっけないほど短い。ほんの数分。長くてもせいぜい三十分だろう。それゆえに近海一本釣り漁船では、片側の船べりに漁師十数名が鈴なりに並び、髪を振り乱して次々と短い竿で釣りあげていく。群れにいったん遭遇すると、船員はただちに食事も中断して漁労長の指示に従う。流れ藻や漂流木によりつくカツオの生態は、黒潮に魚を追う人々の姿までくっきり炙り出す。