黒潮はいつもならそんな土佐沖を、ほぼ真東に向けて、毎時四ノットで悠然と寡黙に流れていただろう。ところが吹きすさぶ東風は、逆風となって黒潮の流れに強く立ちはだかり、あたりの様子を激変させていった。
風浪はぬらぬらとした海面を、たちまちガサツな水の荒野へと変えた。やがて波頭は白く砕け飛び、海原が大きくうねりだすと、波と飛沫にまわりの景色もかき消された。荒波に翻弄され続ける「とらい丸」からは、すでに何も見はるかせない。まるでジェットコースターのように、船体はただただ海原の谷底を、昇ったり下ったりするばかりだった。そして突然、ブリッジの操舵輪にしがみつく彼の視界を、蒼い水の壁がさえぎった。
「ごつい大波をモロに喰らった。頭上から滝んごとく降ってきた真っ白な海水で、キャビンは水浸しや。そいつを被った途端、ずぶ濡れになり、恐ろしさでぶるぶるケイレンしだした。手足の指も全然いうことをきかん。いよいよ船もオダブツかと観念した。そんでもエンジンルームには水が入らんかった。それで船は走り続けた。それでなんとか、自力で向きを変えて助かったんよ」
風向き真正面に対して、舳先を左に斜め三十度から四十五度。とっさの機転で危うく難を逃れたのである。そして二時間ばかりすると、時化は嘘のように収まったという。
この事件以来、細木さんの海への認識は、とことん変わった。その日に眺めた波や風の感触を脳裏に思い浮べ、必ずそれより穏やかな時だけ出漁することに決めたのだった。
とはいえ漁協という後ろ盾も持たず、船籍も暖昧な半人前の漁師の営みは、いくらか気もひけたらしい。彼は誰よりも早く出漁し、日もとっぷり暮れてから港に戻るという日々を律儀に重ねていった。やがてそうするうちに、一度の漁で五百キログラムものカツオの水揚げも記録するまでになった。しかし本格的な漁師のワザに彼が目覚めたのは、師匠とあおぐ辻内名人に出会ってからだろう。