細木さんにはひと頃、プロとしての漁師の道を、真剣に歩んでいた時期があった。それも漁協にすら加盟せず、たったひとりで洋上のカツオを追っていた。ほんの慰みのつもりで始めた遊漁が、海のうえで場数を踏むうちに、生業に転じてしまったのである。
ただし忙しい漁期は四、五、六月の三ヵ月間だけ。実際の話、カツオ以外の魚に手を広げるだけの技量を、彼は持ち合わせてはいなかった。その間は家族五人をそれだけでどうにか養えた。素人が魚市場で魚を買いつけるのはとても難しいが、売ることについてはみな寛容だったという。
もっとも彼のカツオ漁は一本釣りではない。紀州を発祥とする曳き縄漁法と呼ばれるものだった。それは漁船の左右に十メートルちかい孟宗竹の長竿を張りだし、途中に長めの釣り糸を数本たらす。そして潜水板という独特の浮きの先につけた疑似バリで、海面に大きく円を描くように引きまわすのだ。
このときの相棒は、船齢十五年になる五トン級の木造中古船。サラリーマン時代に、知り合いの漁師から格安で手に入れた三隻めのものだった。昔、ラグビー選手としてならした彼は、それに「とらい丸」と名づけて大事に走らせた。水アカの浸みだす老いぼれた船体も、ガラス繊維を張ってアクリル樹脂を塗りたくってやると、いくらかましな船になった。サーフボードを作る要領だった。
カツオに魅入られてしまった彼は、許可申請のいらない曳き縄漁の、すっかりとりこになっていた。海から釣りあげた瞬間の皮膚のみずみずしさ、そしてわずかに紫色がかった宝石のような輝き。魚体を宙にくねらせるその姿態に、たまらない魅力をおぼえたという。そこにイキモノの躍動感が、すき間無くちりばめられていたからに他ならない。