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カツオのアゴに歯らしきものは存在しない。回遊魚の多くは、口蓋の発達や環境の変化によって、食性を自在に変えた。カツオも例外でない。幼魚のころは甲殼類や小魚類を好む。それが成長をとげると、イワシや小アジや小サバ、それに小エビやイカまで追う。疑似バリも含めてあらゆる餌を、彼らは何でも丸飲みにしてしまう悪いクセがあった。

そうして旅の幕開けなかばにして釣り上げられてしまう最初の一団を、人々は「初鰹」と古くから讃え、珍重して晴れやかに食してきた。群れをなす残りのカツオたちは、黒潮にふたたび身を委ねた。そうして日本の太平洋沿岸を、ときに時速五十キロメートルを超す勢いで、さらにさらに北東へと泳ぎ進んでいった。

カツオ漁にはドラマがある。

彼の半生も、そんなカツオの回遊によく似ていた。終戦の年の昭和二十年春に高知県土佐市で生まれた細木茂彦さんは、現在五十六歳。この黒潮ともろに初遭遇を果たしたのは、三十五歳のときだった。当時、小型船舶の四級ライセンスを所持する、根っからの釣り好きだった。彼は初めてもった自分の船を真南に向けて、どんどん走らせた。そして遂に温水の大河に接触したのだった。

「黒潮に船が乗った瞬間、水温計の目盛りば、ガっと上がっとです。それまで十六度、十七度となっとったんが、急に二十度を超す。黒潮の本流に入ると、水ん色まで緑色がかったのから、深い紺碧になるんが目でもよう分かる。でもそこん着く手前の淵には、ホンダワラの流れ藻や、プラスチックの浮遊ゴミやらがいっぱい帯状に流れとんです」

船はその騒めき波立つ淵で、大きく揉まれて洗礼を受けたという。春先の流れ藻には、藻ジャコと呼ばれる天然ハマチの稚魚がいっぱい付く。それは養殖ハマチ用の稚魚として、沿岸漁師らの生活の糧となる。

 

 

 

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