一方、アイルランド号の側についても疑問が残る。
例え反航して来る船が六カイリ先と推定しても、川の強い流れの影響や夜間であるという状況の中で、相手の船の針路を横切るという、本来は危険である行為を何故行なったのか?相手の船(ストールスタッド号)を右舷側に見ていたアイルランド号が、何故衝突回避行動として、ストールスタッド号との左舷対左舷による航過処置をとらなかったのか?
アイルランド号の側にも責任が全くなかったわけではない様に思われる。
しかし、航法には直接関係のない事ではあるが、この時ケンドールは大きな過失を犯していたのであった。
カナディアン・パシフィック社では、航行に関る社内規則を独自に定めていた。
それは、この航路特有の海霧や吹雪の発生した場合の、低視界時に発生しやすい衝突に備えるものであって、浸水を素早く食い止める手段として、もし少しでも視界が不良になった場合には、船長は、船の各隔壁の水密扉を直ちに閉鎖するか、又は直ちに操作が出来る様に必要な人員を、各扉に配置する事が義務づけられていた。
この夜、ケンドールは、霧が発生し視界が全く利かず、しかも反航して来る船があるという、十分に危険が予測される事態にありながら、何故かこの定められた安全対策を怠っていたのであった。
アイルランド号が大型船でありながら、わずかに十四分という異例な早さで沈没した原因は、同夜、アイルランド号の水密扉が総て開かれていたためであったと伝えられている。