この間にも船の傾斜は増す一方であった。
衝突の衝撃によって多くの乗客や乗組員たちは目を覚ました。同時に船体が急速に傾き始めた事で、彼等は事態が容易でない事も悟ったのであった。
彼等は一斉に船室から通路に飛び出し、脱出のために上の甲板へと走り出した。着替える余裕など既にないらしい事もわかり始めていたのである。
乗客も乗組員も、就寝中であった者は皆薄い寝間着姿であり、せめてガウンをまとう程度の姿であった。
しかし、乗客たちの大多数はベッドの中で衝撃で目を覚ましたものの、事態が飲み込めず、何の情報もなく、傾く船室の中で不安におののく間に脱出の機会を失ったのではなかろうか。あるいは熟睡中で衝撃にも気づかず、一瞬にして押し寄せて来た奔流に飲み込まれてしまったのであろう。
衝突からわずかに十分後には、アイルランド号は横倒しになり、左舷側の船体の一部を水面に現しているのみになっていた。
右舷側の船室で就寝していた乗客たちには、一、二、三等の区別なく、脱出の機会は全くなかったのであった。
衝突後のアイルランド号の転覆はあまりにも急であった。脱出出来た乗客や乗組員は、ただ遇然の幸運を捕まえただけであったと言っても過言ではあるまい。
横倒しになったアイルランド号は、四分後には船首からセントローレンス川の底へ没してしまったのであった。
ここに、この時救助された乗客のイメージをもとに描かれた一枚の絵がある。