川面をたどり、月明りにかすかに確認出来る水平線上に浮かぶ前方の灯火を凝視していると、白色灯の右下に、わずかに光る赤色の左舷灯が確認出来た。
その船はアイルランド号に対してやや左舷を見せながら進んで来る様である。その距離はおよそ六〜七カイリと推定出来た。
相手の船は上部構造物の低い、吃水が深く沈んだ貨物船の様であり、速力は遅く、およそ十ノット前後と判断出来た。
ケンドールはアイルランド号が次に採るべき手段を一瞬考えたが、すぐに決断した。
相手の船はかなり岸近くを遡上して来る。航行の原則に従って、アイルランド号の針路をやや右に変えて、その船と左舷対左舷で航過する事は不可能ではない。
しかし、相手は遅く、しかもまだ距離は六カイリ(約十一キロメートル)はある。
相手の船の針路を横切り、アイルランド号を所定の航路につかせる事が可能に思えた。
ケンドールは一等航海士にその旨を伝えた。一等航海士は直ちにエンジンテレグラフに手を掛け、ハンドルを思い切り前へ廻し、機関室に対して「前進全速」を指令した。
船の速力は徐々に増し始めた。
ここで知っておかなければならない事がある。セントローレンス川の流速はこの付近でも毎時五ノット(時速約九キロメートル)あり、川を横切って進む船は、川の流れに押され、船は常に下流へ流され、海上とは異なり、船の位置は下流方向へ移動しているのである。
アイルランド号が増速を始めて間もなく、何の前ぶれもなく前方の視界が急に途切れ出したのであった。