クリッペンはそれから四カ月後、早くも処刑されてしまったが、その頃から誰言うともなく薄気味悪い噂が流れ始め出した。
「クリッペンは処刑に先立ち、ケンドールに対して凄まじいばかりの呪いの言葉を吐き捨てた」というものであるが、真偽のほどはわからない。
この頃までの船乗り達の多くは、このような忌わしい話に対して極めて敏感であった。
ケンドールの周辺では「彼は呪われた船長。彼にはいずれ何かが起こる」という囁きが聞える様になっていた。
例え大胆なケンドールであっても、この噂を気に留めないというわけにはゆかなかった。
話を元へもどそう。
船長のケンドールは、ケベックを出港後、パイロットと共にブリッジを離れることはなかった。
パイロットは当然のことながらこの水路についてのベテランであり、ケンドールは航行の総てをパイロットと当直の航海士にまかせてもよいのであるが、彼はこの水路ではパイロットと共に常にブリッジに立ち、この様な危険な水路では、船長自身の責任においてパイロットから操船の指示を受けることが最善の方法であるという信念を貫いていた。
確かにこのような危険の多い航路では、どのように慎重な注意を払っても、十分過ぎるという事はないのである。
いつもの事ではあるが、夕食もパイロットと共にブリッジで立ったままで終えた。
乗客達の多くは久しぶりの帰国に心を弾ませ、遅くまでラウンジや喫煙室で語り合い、時の経つのも忘れていた。