この電文は、船舶無電の黎明期に、船舶の運航以外の目的で使用された史上初の特異な無電として、船舶無電の歴史に記録されている。
余談であるが、この時モントローズ号より発信されたこの無電の原稿が、六十四年後の一九七四年にロンドンで開催されたサザビーのオークションで、当時の日本円に換算して百二十万円の高額で落札される。
カナディアン・パシフィック社の対応は素早かった。同社は時を移さずロンドン警視庁に電報を送り、善後策の緊急協議に入った。
幸運なことに、翌二十二日にリヴァプールを出港する、ケベック行きの、ホワイトスター・ラインのローレンティック号があった。
この事件担当の主任刑事が急ぎリヴァプールに赴き、ローレンティック号に乗り込んだ。
この船はモントローズ号よりも高速であったために、ケベックにはモントローズ号より二日早く到着する予定であった。
モントローズ号が、セントローレンス川河口付近のパイロットステーションのあるファザーポイントに仮泊した時、先廻りしていた主任刑事はパイロットに変装し、同じく作業員に変装した数人のカナダの刑事と共にモントローズ号に乗り込んだ。
ロビンソン親子はモントローズ号の運航事務室に呼び出されると同時に厳しい訊問が開始されたのであった。
取り調べに立合ったケンドールは、刑事による厳しい訊問の途中で、二人にとっては決定的とも言える数々の証言をしたのであった。
ケンドールの証言は決定的で、ロビンソンことクリッペンは、遂に自分の妻の殺害を自供したのであった。
ケンドールの直感は的中していたのである。ケンドールの機転ある行動によって、稀代の殺人犯は逮捕されたが、この逮捕劇はたちまちイギリス中の話題となり、ケンドールは一躍ヒーローとして国中に迎えられたのであった。