しかし、カナディアン・パシフィック社の西廻り海陸直結の行程は、例えばロンドンと香港の間では、たとえ途中で二度も船と列車の乗り換えがあったとしても、全行程に要する時間は、最短で二十六日間であり、スエズ運河経由の最短時間に対して十日間も時間を短縮することが出来、圧到的に有利であった。
勿論、海陸の行程としては、イギリスとニューヨークを結ぶ航路とアメリカ国内の鉄道による横断、そしてアメリカ西岸から極東へ向う航路を組み合わせる方法もあるが、起点から終点まで総て同じ会社のサービスが受けられ、さらに割引料金の恩典が受けられるとあれば、当然カナディアン・パシフィック社は優位な立場に立てたのであった。
そのために、エンプレス・オブ・アイルランド号は、姉妹船のエンプレス・オブ・ブリテン号と共に、集客率は常に安定し、豪華とはゆかぬまでも、心のこもったサービスと居心地の良い客船として人気があった。
当時のカナダの大西洋側の海の玄関口は、セントローレンス川の中流にあるモントリオールとケベックが中心で、これは現在も変わっていない。
特にケベックは、カナダの開発の出発点ともいえる、歴史的に重要な役割を担った街であると共に、カナダ国内へ向けての人や物資の流れの東の起点でもあって、海陸の接点として重要な役割を持つ街である。
一方、セントローレンス川の存在は、ケベックやモントリオールの街の発展ばかりでなく、カナダ開発のために極めて重要な役割を果たして来たのであった。
カナダ第三位の大河セントローレンス川は、基本的にはその源流は五大湖の一つ、オンタリオ湖とされている。