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そして四年後に戦火が止んだ時には、エンプレス・オブ・アイルランド号の沈没事件は、遠い過去の事件として忘れ去られる運命になっていたのであろう。

そのためでもあろうか、事件後現在に至るまで、この事件を取り扱った読物や資料の出版は極めて少なく、見つけ出す事も容易ではなく、出て来るものは、八十年前に出版された事件を印す一冊の本以外は、概略的な経緯を示す資料程度である。

エンプレス・オブ・アイルランド号は、イギリスのリヴァプールとカナダのケベックを結ぶ航路の客船として、カナディアン・パシフィック社が建造した、当時同社の最大の客船であった。

もともとカナディアン・パシフィックという会社は、開拓の途上にあったカナダの広大な大地に、大西洋岸から太平洋岸まで横断鉄道を敷き、その鉄道を運営するために設立された会社であったが、鉄道を全通させた後、ヨーロッパとアジアを西廻りで結びつけるためのルートとして、カナダの大地は鉄道を使い、大西洋と太平洋は船を使って、東西世界を海陸でリンクさせようという、壮大な構想を打ち立てて、海運界にまで手を伸ばした会社である。

カナディアン・パシフィック社は、そのために大西洋・太平洋両洋に客船を就航させており、ビクトリア王朝時代の会社設立を記念して、自社の客船には総てその名前の頭にエンプレスの名を冠していた。

イギリスを中心とするヨーロッパの国々は、十九世紀に入ると中国や東南アジア方面への勢力拡大を一層露わにし、交通手段としての海運業の展開には特に勢力を競っていた。

当時ヨーロッパからアジアまでの行程は、スエズ運河を経由する方法が最短であって、イギリスのP&Oラインやブルーファンネルライン、あるいはフランスのMMラインなど多くの海運会社が、アジア航路の主導権を握るべく、常に勢力の拡大を図っていた。

 

 

 

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