日本財団 図書館


あるいは、この事件が衝突から沈没まで僅かに十四分という、あまりにも短い時間の間に起きてしまったために、タイタニック号の沈没の時の様な、後々まで語りつがれる様な、様々な感動的なドラマやエピソードが生まれる余地が全くなかったこと。

あるいは、この事件にはヒーローやヒロインが一人も登場しなかったこと、いや、むしろ登場する余裕すらなかったほどの間に、総てが終ってしまった事故であったことなども考えられる。

あるいは、この総てが原因であったのかも知れない。

しかし、忘れ去られてしまった最大の理由は、この大惨事が発生した僅か二ヵ月後には、ヨーロッパの地には第一次世界大戦が勃発するという、世の中の事件を総て飲み込むほどの大事件が起きてしまったことにあるらしい。

この頃の欧米の大多数の人々の最大の関心事は、大規模な戦争が勃発することへの心配で、例え大惨事とはいえ、一隻の客船の事故を顧みるゆとりなど既に失われてしまっていた。ということが、この事件がその後世の中から忘れ去られてしまった本当の理由の様に思われる。

さらに、戦争が始まると、ドイツの潜水艦の攻撃という、誰もが予想していなかった方法によって、実に多数の連合国商船が次々と沈められ、多数の人々がその犠牲になってしまったこと。

さらに、当事イギリス海運界のシンボル的存在でもあった高速巨船ルシタニア号が、千二百名にも達する犠牲者を道づれに撃沈され、この事件がアメリカを参戦させる引金になってしまった、という大事件も、アイルランド号の大惨事の記憶を余計に希釈させてしまった、とも考えられるのである。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION