エンプレス・オブ・アイルランド号の事故は、タイタニック号の大惨事の余韻が、世の中にまだ残っている時に起きただけに、当然センセーショナルな事件として、ニュースは世界中を駆け巡るはずであった。
しかし、何故かこの事件については、その後あまり騒がれる事もなく、それどころか、いつの間にか忘れ去られてしまったのである。
タイタニック号の沈没事件は、事故後八十年以上も経った現在でも、書物や映画、あるいはニュースの種としていつまでも蘇り、世界中に古くて新しい話題を提供している。
しかし、エンプレス・オブ・アイルランド号の大惨事については、何故か全くと言ってよいほどに話題として登場せず、それどころか、過去にその様な事件があったという事すら世の中では知られていないのである。
何故この事件は世の中から忘れ去られてしまったのであろうか。
その理由は様々考えられる。
タイタニック号の遭難事件の場合は、世界最大で最も豪華、しかも絶対に沈没しないという鳴物入りで登場した巨大客船が、処女航海の途上、氷山と衝突するという予想外の事故を起こし、多数の犠牲者を道づれに消え失せてしまったと言う、あまりにもセンセーショナルな背景の下での事故であったのに比べて、エンプレス・オブ・アイルランド号の遭難事件は、タイタニック号の時の様に、世間を驚かせるに十分な舞台背景とニュース性を何も持ち合わせず、あまり目立たなかった事も考えられる。
また、アイルランド号が、北大西洋航路の花形であるニューヨーク航路の客船ではなく、大きさにおいても、船内の設備においても、特別に際立った特色も持たず、スピードの上でも、当時既に大西洋上で繰り広げられていたブルーリボン争奪にも関係のない、至って地味な存在の船であった事も考えられる。