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だから、当時は私の評判はずいぶん悪かったんじゃないかと思いますが、そういうつもりでやったのが1つ。もう1つは国民に、これだって返してもらうんですが、いってみれば国の金を貸す、ひょっとしたら税金に関わるということを考えれば、国民からそういう機会をもらった、しかも今言ったように佐々波委員会がやったあと、もう1回国会で立法されたという、日本の銀行家にもう1度大変なチャンスが与えられたんだから、自分たちでもってそれを証明しなければいけない、そのためにはまずセルフヘルプが必要だと。例えば自分で自己調達をこれだけします、でも足りない、しかし世の中の要請には応えたい、そこで公的資金を申請する―こんなふうになるんじゃないですかと。

これも大変難しい、今だから言えるんですが、キャピタル・マーケットが日本には存在していなかったといってもいいし、存在していたといってもいいんですが、バブルの崩壊のプロセスで、キャピタル・マーケットは間接金融市場以上に早く傷み、全くおかしな状況になっていた。これはあとのほうの議論にも関わってくるんですが、よく「銀行がだめになったから今度は直接金融ですよね」と言われます。私も長期的な意味ではそう思うんですが、アメリカの私の同業者なり、けんか相手ほどには実はそう思っておりません。というのは、皆さんご記憶の通り、88年、89年、90年ごろにそのSB(ストレート・ボンド)の金利がかなり下がった。今度はそれが転換社債になったり、ワラントがついたというと、いや実はゼロ金利だと。いやゼロどころじゃない、出したほうが得なんだ。かえって補助金をマーケットからもらっているぐらいの状況だということがあって、それがバブルの崩壊後はじけた。

そうすると人々は、キャピタル・マーケットからいっぺんに逃げた。こういう状況でしたから、97年の段階であっても、98年の段階であってもなかなかそれは難しい状況だと思いますので、私は口では自己調達してくださいというふうに言いましたが、実際にはかなり難しいなと思っておりました。ご記憶にあると思いますが、さくら銀行の頭取が、トヨタまで行って頭を下げたけれどもウンと言ってくれなかった。別に私はそれをしろ(頭を下げろ)と言ったわけじゃないんですが、でもそういうプロセスなんですね。国民の目に映ることは非常に大事だし、別にどこの企業に頭を下げてくれってことじゃないんですが、銀行の経営者全体として、そういうものを受け止めて対応していく必要がある。

 

 

 

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