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それに加えてこの下側にあります地価の動向、6大都市圏のこの大変急激な低下で、今日に至るもののまだ続いている地価の低下、これで金融機関の体力のほうが使い果たされてしまったという状況です。

そこで3ページに入って、これは今言ったトピックスを98年の10月2日を100として、トピックスを描いて、その上にトピックスの中の銀行株価指数をのせてみた。それで今申し上げましたことからすると、97年の11月の山一(証券)だ、北拓(北海道拓殖銀行)だ、そのころ大変株価が下がってきたことは皆さんご承知のとおりですが、そのころから今あえて申し上げた98年の10月2日―これは別に10月2日である必要はないんです。10月1日が休みなんで2日しかなかったということでそうしただけですが―この期間は銀行株価指数が下がることによって、トピックスが下がるということで、人々がそれにのみ目を奪われるというフェイズだったと思うんですが、長銀(日本長期信用銀行)の公的管理開始が98年の10月、日債銀(日本債券信用銀行)が98年の12月ということなんですが、このころから徐々に、―これまた指数のいたずらでもないと思うんです、―トピックスをご覧いただいても、10月の中旬までにはボトムから反転をしているということがおわかりいただけますし、そして私たちがいろいろとやっていたことももし効果があれば大変ありがたいわけですが、銀行株価指数が徐々に人々の信頼を勝ち得て、上がっていく。

で、99年3月になり15行の資本注入が行われ、いわゆる例のジャパン・プレミアムがこのころから解消された。そしていつごろからでしょうか、99年の10月、11月ごろまで株価は上がっていった。

もっとも、資本注入が行われた後、何ヵ月ぐらいかしてから、99年の終わりぐらいまでは東京三菱(銀行)はもう少し後だったんですが、みずほができるとか、三井住友ができるとか、いろんなアナウンスメントが続いて、若干はやされたというような感じで、銀行株価が上がっていった。その頃になりましたら石原さん(東京都知事)が銀行に課税をするぞと。実は銀行株価はその直前に下がりだしたんですが、下がったところに弱り目にたたり目といったというか、ドーンと下げられた。

やや皮肉なんですが、その後、そごうの問題などもこういろいろありまして、銀行株価指数はご覧いただくと、この一番間近のところで見ても、98年の秋とか、あるいは99年の初めごろと実は同じ水準まで戻っちゃったんですね。トピックスのほうが、いってみればIT株とかそういうことで今動いておりまして、銀行株との関係が立ち切れたということでしょうか。

 

 

 

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