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それから、私もおもしろいと思ったのは、各省が宣伝戦をいろいろやりまして、例えば警察庁と海上保安庁が一緒になるなんて案があったんですが、警察の方がいかに効率的かという怪文書を出したんです。それが逆に海上保安庁を刺激しまして、できなくなったとか、そういうようなものの類までなるべく収集しておりました。

たまたま私の秘書をしてくれていた人が、若いころ通産省に5、6年いたんですが、今はHSBCの東京の証券の責任者をやっている山田晴信という人です。その山田君が、資料の整理の仕方をこのときから考えておいてくれまして、今、戦略会議の事務局長の三宅さんの秘書をしているお嬢さんが、当時私の秘書をしてくれており、当時の混乱の中ではとても各省別なんていうことはできませんから、説明に持ってくる書類に付箋を付け、「何月何日にだれそれさんが来て、こういう資料を説明していった。中身は」といって一つ一つ挟んでずっとやったのがありました。補佐官室を出るとき、これを家に持って帰ればクズになってしまいますし、もったいないと思いまして日下会長に御相談をしたら、東京財団で預かってやってもいいというお話で、預かっていただきました。

そうしたら、その研究会を東京財団でやってやろうじゃないかということで、今度は田中一昭さんが主査になって、行政学の若い先生方3、4人集まって、行革会議の事務局に来ていた方も2人ばかり入って、5、6人で勉強とか思い直しをやっておるわけです。今、行革会議のメンバーの方を訪問してインタビューしたりなんかして、そのとき本当はどう思っていたというような記録もつくっております。その一部がこの間NHKスペシャルで3週間ぐらい前かにやったんですが、これは公共事業の部分だけであります。そんなことで、今、行革会議の後をずっと追いかけているわけであります。

きょうは私見が多いんですが、行革会議の結論が修正されずにうまくいっているかということを少し申し上げてみたいと思います。

形の上では、行革会議も、私は改革の精神が満ちているのは中間報告まであって、最終報告の段階では、例えば郵政省の巻き返し、建設省の巻き返し等があって、当初の考え方がだいぶ曲げられてしまったのでありますが、それでも、6割から7割はわれわれの思いがこの中にうまく入ったなということで、ともかく行革会議の最終決定がこれ以上後退しないように、法律が実現する日まで見守ろうというようなことになりました。

 

 

 

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