やはり職業的には一瞬身が凍りますね。鉄鋼業界全体と喧嘩しないといけないのかなというのはね。そこで、何するかというと、注釈を入れるわけです。
ところが、2つあると思うんですね。新聞、テレビベースでいったらやっぱりミクロのことをやるには時間がない。おもしろけりゃおもしろいほど時間がない。良くても悪くても。まあいいほうは大体許されますけどね。これが1つ。それからアナリストというのは、それで生きているのはプロの世界の情報だからまあまあ比較的注釈ですんでいると思うんですよ。だけど新聞の一面に決算短信以外の数字が、自分と公認会計士と東京証券取引所から出た以外の数字がポーンと載ったら、やっぱりその会社は驚くよね。「俺のところだけなぜ出すんだ」と。そういうことをやるときには、必ず説明が書いてあるでしょうけど、そうじゃないでしょうと。一生懸命苦労して出した数字を、これでうちの商売全部、少なくとも資金調達側の事情が全部決まってくるんだから。
テレビなんかもっとそうでしょうね、消えてしまうから。新聞はよく読めば注釈が書いてありますけど。テレビは出た数字の順序、それで何かの順序が入れ変わっていたら、やっぱり必死になりますよ、向こうも。そういう損をこなして、スピードの中で損をこなしていくのがやっばりいやになってしまうんですね。
私はアナリスト的なものというのは、我々も新聞やテレビも、雑誌というのはちょっと時間がありますけどね、何か導入して考えなきゃいけないと思いますね。そして、今アナリストとマスコミの線がどこに引かれるかというのが、アナリストさんは気にし始めていますね。マスコミのほうは実はあまり気にしていなくてよくないんですが。アメリカの新聞なんかだと、日本の経営記事というと来期の予想は何パーセントにしているとか書いてあるんです、証券取引所の。日本の場合は証券取引所の規定によって書くことになっている。逆にある種の産業はそれを書かされることによってつくりすぎをして、よくまずいことになるんですね、アパレルが多いんですけど。要するにどうしてもつくりすぎになっていくから。
アメリカはそうじゃないんだそうですね。そういうふうな記事を書く場合でも、アナリストの何とかさんはこう言っているって書くもんなんだと、アナリスト業者の方は言うわけですよ。鵜呑みにもしませんけど。ただ、そこらへんのところが、ミクロ記事というものの中枢議論の中ではやっぱり必要で、そのことによって逆に言ったらやっぱり利潤の発生というものが、もっと合理的に説明できるんだったら、そのほうがいいんじゃないかという気はします。