どういう形で我々はお客さんに経済の実態を知らせようかというときに、インターネットで数字だけを流すということが成立する社会、そこにおいては多分おっしゃる通りなんですよ。
しかし、そうはいってもおごり高ぶって言うわけでもないけども、経済の研究をする人も、新聞で最初に書かれたときのひとつの方向感、批判の方向感というもので物を調べていくだけでも影響を受けるだろうというふうになってくると、そこには言語にまとめてすぐ書いているという大きな制約が、統計の扱いや経済事象の扱いに関係してくると思うんですね。
なぜミクロが難しいかというと、訴訟が起きるからです。官庁は訴訟が起きない。本当のこというとそれだけですよ。だからミクロをやり抜くというのは相当の習熟が必要なんですよ。だって、それはどこで利潤を出しているか隠していますから。
もしこの聴衆の中に上場してない会社の方がおられたとすれば、やっぱりそれは儲け方を幾ばくかは隠しているんですよね。でもそこを書くと、それは事実はわからないですから、訴訟合戦になって商売にならない。またそれは判例にもなっていないでしょう。私はなるべきだと思います。ある程度のことを確認して書いたら、この範囲だったら許されるとかね、そのほうが公衆の利益になっている。ところが向こうはサラリーマンですから訴訟を起こす人もいるんですね、職業的に。現実に社長が怒る。経理部長が怒るだけならいいが、なぜか社長がみんな怒る。そうすると何千人という人を相手に、たったこんな記事で闘わなければならないのかという現象は、毎日起こるんですよ。
そこが、ミクロ記事が発達しなかった理由ですね。僕は今アナリストの話でおもしろいと思ったんですけど、今たまたま出ている「エコノミスト」には、アナリストがその決算をどう分析してるかと出てるんですね。アナリストというのは、当然のことながら自分の基準をもっているんですね。利益を決算短信で発表したものでなく、私どもに送ってくる人がいるんですよ。つまり自分の観点をもっていて、この4社は実はこれとこれは減らさないと、と。鉄鋼業のことを調べている人は、NKの造船業のところを何らかの形で工夫して、そこから落とすから鉄鋼業の比較ができるんだって考えるアナリストもいますよね。
そうすると、今うちに載っているのはそうではないですけど、そこを削ってくる人がいるんですよ。僕ら仕方ないから、間違っちゃいけないから、決算短信の何百枚というのを集めて、アルバイトを雇って見ていくわけです、「違うぞ」と。