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それは銀行資本が傷ついたら償却行為があったという企業ばかりでもないのかなと考えるからなんですが。また、手形交換所の数値も少しずつ違っていたりして、これだけ恐慌だ恐慌だ、倒座だと、97年から数えても、3年も4年もやっているんですが、実は誰も本当の倒産の数がわかんないんですね。これはどうしてなんでしょう。

それでも話のできるところが経済のいいところではありますが、国のほうも別にそれは気にしていない。それで政策を誤ったという気もしないし、当面は誤っていたという気もするんですが、でもそれを、せめて誰かが日銀ぐらい企業倒産数の正確な統計をとることをやったっていいんじゃないかと思うけど誰もしようとしない。別にそれが出たからまずいということもないでしょうけどね。

今、日本の経済議論をするかなりおもしろい局面というのは、格付けですよね。アメリカの金融マーケットが、日本に持ち込んだいくつかの統計まがいのものがあるじゃないですか。何とか利益率とか、それと似たようなものかもしれませんが、ここのところがある種の証券系の経済研究所なんかにとっては、重要なものだと思うし、我々もそれを引き移して、ある時期は議論をする。

ところが実際は格付けなんていう話が、98年いっぱいぐらいまでは大変気になりましたが、今格付けを気にしているところがあるかというと、まあ「やだな」とかね、そのくらいの反応はするけど、格付けが下がったからどうなのというと、感じないでしょう。あれも1つの民間の統計処理だとすると、それも忘れてしまっているんですね。で、はっきり言って書きませんよ。AとかBとか大文字と小文字が並ぶんだとか。おかしいじゃないか大体こんなこと自体が。そんなことばっかり思ってBでもAでもいいと、大体富士銀行は「みずほ」ということになるんだとかね、そっちのほうに話がいってしまって、関心がもてない。それで、ムーディーズが格付けを変えてきたところで、大問題は起きないだろうといってみんな忘れている。

かくて経済記事というのは、額縁がわからないと資料としてはならないということで、講演を終わらせていただきます。文字通り雑談なんですけど、ただ最後に幾分エクスキューズを言わせていもらえば、この雑談は比較的話すのが嫌なんですよね、職業的には。

やっぱり経済記事はそのスタイルにおいて統計から書き始めるというのは、非常に多いパターンで、その信憑性を自分で疑わしめるようなことを言うのはちょっと言いにくいことなんですが、内輪の会合ではそういう話をしてもいいんじゃないかと思います。

統計も時代のことに結局尽きるんですが、そういうふうに扱わないで、金科玉条のごとくしていくと、すぐ論理がおかしくなって、足もとをすくわれたり、要するに有効性がなくなってしまう原稿や論文になってしまうんじゃないかなと、あるいは何かにこだわっているのかなみたいな話になって、どうも今の時代と違うねという感じがしてくるから、こんなことも言う気になるんですが、最後にこれは結構言いにくい話なんだということをいって、終わりたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

 

 

 

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