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そのときに景気が悪くなってもいい、などということは、それは結果はどうなってもいいというのと同じ議論で、ずいぶん変な考え方だなと思います。

その頃清貧の思想とかね、そういう個人的な体験談話が出てきましたね。大体貧困はいいんだけど、清貧の清はやはり疑問ですね。だけど大体そういう現象がジャーナリズムの中で循環してくる。しかしこれは、景気はこれ以上よくなくてもいいとか、今はまだそんなに悪くないとか、そういうことを言うんだったら、社会全体のシステムについて相当はっきりしたことを言わないと意味がないですよね。聞いてみてもあとは野となれ山となれで、何となくもう疲れたよということでもないだろうと。

先程のマクロとミクロの話もそうなんですが、経済を超過利潤をどれだけ得ているんだというようなことを基準に考えたとしましょう。この基準に対する大きな敵というのは、マクロと景気はそんなによくなくていいという、これを信奉する方々なんですね。実をいうと景気が悪いと喜んでいるような論文が「エコノミスト」にもよくあります。

さすがにそういうことを書く人は、かなり大変なことがまた起きるという予測をしつつ書くという一種の分析のスタンスをとっていて、それはいいと思うんですが、景気はやっぱり今のシステムである以上は、よくないとしんどいですよ。

話をまとめますが、先ほど利潤が何だといった話もそうですし、それをめぐる一種の規制というのが何だというのも、まさにどんどん変わっていくんですよね。ここのところが非常に経済論の弱いところだと思うんですけどね。冷戦構造下というのは、こういう話がなくて、便利な時代だった。

「エコノミスト」なんて雑誌は、大学の先生の論文を送ってきて、ただまとめてたという話がありますけどね。それで何となく売れていた。売れてなかったんだったら、批判して終わってしまうんだけど。実はその頃のほうが売れたんですよ。利潤が何だとかいって七転八倒しても売れない。読者の方もそういう影絵を見て、喜んでいたんですね、革命がくるぞとか言って。

だけど、時代とともに高度成長や冷戦というこの固い岩盤のごときものが終わったあとは、いわばもう儲け方、儲け方を規制する為替、石油、それから小さい政府がいいか、要するにお金が足りないということ、国が儲からなくなった、それを基準に変わらない変わらないといっても、これはさすがに政治論と違いますから、猛烈に変わっている。

 

 

 

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