そこで、にもかかわらず利潤が貯まっていくのは、景気がよくなるからで、経済が拡大していくときはやっぱりそうだと。まあほかの産業もありますから、本当に近代的でない農業なんかもあるから、そういう言葉は言えないにしても、今の大国ではどうしても企業活動が円滑に行われ、まず利益が出るというとこから、すなわち配分がなされ利益が出るってところが景気というもの、経済成長の本質だと思うんですが、不思議なことに、批判するわけじゃありませんが、ある景気の変動時期になると、景気はよくならなくっていいという、日本の経済ジャーナリズムで意外に出てくるフレーズがあるんですね。
もしも、皆様が経済関係の研究所にいたときに、仕事にお疲れになっている面々の中に一言ぐらい言ってしまう人がいるんじゃないかという気がするんですよ。「もういい、景気なんて悪くたって、食うものがなくなるわけじゃないし。こんなに忙しいから少しは景気スローダウンしたほうがいい」とか。大して成長もしていない20年ぐらい前に言うんだったら偉いけどね。必ずこれは起きるんですね。これは一種の経済観察者の疲れなんですね。ほとんど論理的には意味のないものです。どこの社にもいると思うんですよ、1人ぐらいそういうことを言う年をとった経済記者が、本気になって書いたりして。
もう誰もそういうこと言わないかと思うと、やっぱりまだいるんですね。誰も首吊りしないじゃないかとかって。でも、それは間違いですよ。
これは日本に限ったことではないと思います。どんな資本主義国家も、少しずつ経済成長がないと、人間が生きている社会システム、政治システムのきしみが激しくて、もっというと教育とかそういうところにまでも直接大変なトラブルが起きるようにつくってあるんですね。僕は、景気なんて悪くてもいいと言う人はいてもいいと思うんですよ。いてもいいと思うし、時来たりなばそういうことも言うかなと思うけど、それはそうした社会システムを変更させるということを前提に、議論しなければならない。
ところが、日本のようにまとまった国家では、行政改革といっても何もできない、小さい政府なんて夢のまた夢なわけですからね。