しかしミクロがわからないとマクロはわからないし、ミクロがわからないとG7だって、やはり感応度が違います。この業界損するんだみたいなね。ことのもっと細かいことが。
資料の5]は幾分僕の悔しさもあって入れているんですが、かくて経済記事というのは、どこに利潤があるのか。どんな利潤で、どのくらいの量で、いわゆる超過利潤が何だって議論は私もしませんし、多分超過利潤論という、これが超過利潤だという議論をしても仕方ないと思う。何で仕方ないかというと、最近の証券市場を見てきても、いろんなアナリストがいろんな指標をもってきて、何に対する利益率かということを百花繚乱のごとく、というほどではないにしても、それは払い込み資本、いわゆる自己資本というものに対する利益だとか、いろいろ指標をつくってみていきます。そこでひとつの議論だけで今僕は話をしたくないということももちろんあるんですが、本当のことをいうと、人間って資本主義的な社会をつくっていると、その時代その時代に即した利潤概念というのも、大体その参加者というのはもっていて、それが平均より上か下かというのが本能的にわかってくる。
そして、例えば直接金融のような、外部からという言葉が正しいかどうかわからないが、条件が変えられてきたときには、その利潤の定義さえ変えていって、それを消化していく。例えばお金を返してくれることだ。何だか知らないけど江戸時代の貿易の本を読んでいたら、やっぱり貸したお金に対して2倍になって戻ってくる。それは危険な航海を繰り広げて儲かるんだから、お金の出し手としてはそれは2倍ぐらい貰わなければつまんないわけね。そこらへんのところを基準にして考えている。
これが資本に対する利益なのか金利なのかとよくわかりませんけどね。もしかしたら、パーになってしまうんだから、資本なのかもしれないですが。そういうことはこの20年ぐらいでも、どんどん自己資本に対する利益率というので、みんなが納得し始めている。多分今の人たちは、アナリストなんてものは完全に彼らは超過利潤なんて言葉は使わないけど、ここらへんは買いだ、売りだと判断するのは、それが超過利潤を超えるか超えないかということでしょう。平均値を超えるか超えないかというのは、それは当然自分たちが計算している自己資本に対する利益率でやったり、もっと複雑な計算をしてやっていると。
だから、本当のこと言うと、超過利潤って時代とともに変わっていくなってもう1つの考え方を僕はもっているんですが、でも何か知らないけど、共通でそれを話し合える言語感覚ぐらいのものはもっていて、短い言葉のやり取りで、あそこ儲かっている、あそこ儲かってない、明日倒産するよなんてことをちょこちょこって話して、きちんと理解する能力みたいなものが前提にあるという感じがしています。