あとは何とか、国内のポリシーミックスで解消してよってね、まあ国民のスタンスがそうだから記事もそうだということもあるんですけど、日本においては一番重要な国際会議であるG7の記事も、実はそういうもので、それを言語的に打ち破ったマスコミというのはあまりないですね。多分言葉が末熟なのか、感情が未熟なのかわかりませんが。
日本はサミットを報道しすぎだという議論が、よく物を知っている人からは必ず出てくるんですね。これも1つの国際的な統計じゃないですけど、G7と同じく議論の結果がわかりにくいという事情があるにせよ、資料に残るものの扱いとしてみると、僕はそれは酷な話だと思います。
ノーベル賞とオリンピックとサミットというのは、日本はとてもよく扱うんですよ。それは大戦争に負けて、国際的にゼロになってしまった国が順番に回復してくる過程ですよね。
あれだけ大戦争をやってあれだけ負ければ、それから回復する過程の一里塚というのは、それは重要なものですよ。それに、日本の国情というか、国際的に日本が置かれている立場としては、やはりサミットというのはほかの国に比べるとずっと大きいですよ。全部のサミットでそういうことが起こるわけではないですが、あれに縛られることというのは大きいですから。サミットだって非常に大きな、特に税金を使わされることも多いわけですから、あのくらいの報道というのは当たり前だと思います。ただし、お祭り騒ぎふうな報道というのはどうかとおもいます。本来であればもっと深刻に歴史の資料として扱うべきものが、G7のほうはべールに包まれ、サミットのほうはお祭り騒ぎに流れているという点は考えなくてはいけない。
ジャーナリズムの世界では、マクロとミクロというふうに言葉が分かれています、本当はよくないんですが。先ほどの話でよくわかると思いますが、お上のすることと金融がマクロで企業側のものがミクロ。それまでは、どの記者も大体時間が許せば同じように書くんですが、何となく得意、不得意が出てきたりして、大体ミクロは損するんですね、なぜなのかという気もするんですが、多分僕はやっぱり先ほども申し上げた超過利潤の重大さというものについて、ミクロ記者の主張が足りなかったんじゃないかという気がします。
G7だってどっちの国でも総体として儲かるかという話なわけですから、それで重要だといった以上、それで国家が何を決めるのかというのは、極めて重要ですよね。